mellowbrain’s blog

カウンセリングに通っています。ここには頭の中の整理を落としています。

トランスジェンダーという性のあり方

メディア工房という番組枠内のドキュメンタリー番組(NONFIX?調べてないのでよくわかりませんが恐らく)で、トランスジェンダーの男性Oさん(28)に密着した9ヶ月間を特集していた。他人事じゃないので記録したいと思う。


Oさんは、幼少期から男性という性別に違和感を感じていて、それを誰にも隠していたが、20才を過ぎた頃から女性になりたいという願望が強くなり、女装したりホルモン剤で胸を大きくしたりしてきた。
しかし、工場勤めから転職した先の福祉関係の職場で、「指導する立場の人間があやふやな性別でいるのは示しがつかない」ことを理由に即日解雇されてしまう。
東京に行けば、ありのままの性の自分を受け入れてくれる職場が見つかるかもしれないと、一念発起して昨年、上京。
戸籍上は男性であるため、履歴書には男に丸を付けて面接に臨む。
だが、長髪や女装を理由に不採用ばかりが続く。
長髪であるのには大きな理由がある。自分にとっては女性であることが自然であるために、女性の証として髪は大事に伸ばしているのだ。
Oさんは思い悩んだ末、生計を立てるために、プライドを捨てる覚悟を決める。泣く泣く髪を切り、男性として面接を受け、男性として働いていく決意をした。


そして数ヶ月後。
Oさんは、ある女性Pさんと知り合い、付き合いを深める中でPさんと結婚することを決めた。

このとき疑問視されるのは、Oさんはどっちの性別として結婚を決めたのか?ということ。
Oさんは、仕事以外のプライベートでは以前同様に(寧ろ以前に増して)女装してお化粧して、完全に女として生活をする。職場では男、家では女、という生活を送ることで、自分の性のバランスをうまく保っている。
結婚に臨んだOさんの気持ちとしては、「やっぱり自分にとって、女であることが自然」だという。
Pさんは、Oさんがそのような性自認であることを知った上で、「人間として一緒にいたいから」という理由で結婚に臨んでいた。
しかし入籍を目前にして、しばらく安定しているかのように見えたOさんが再び性に揺らいでいることに戸惑っている自分に気がつき、結婚を辞退することを選んだ。
その話し合いの中で、「結局…、どっちの性だって辛いじゃない」というOさん。
最後に、今のあなたの性別は何ですか?との質問に、「…(長く考えて)……女性に偏った男性…」と答える。





このドキュメンタリーを見てまず驚いたことは、トランスジェンダーに対する世間の認知が、未だ非常に低いとされていること。
わたしは授業で取り扱ったり自分がそこに何かしら親近感を感じるからなのか、すごく身近な言葉だったので、それだけ驚きでした。


トランスジェンダーは、性同一性障害とは異なる。
性同一性障害は、自分の体と心の性に違和感を感じる性自認(一般的に出されるこの説明が当人が納得しうるものかは疑問ですが)で、現在では性転換手術という方法や、いくつか条件がありながらも、戸籍上の性別を変えることが可能になってきている。
一方トランスジェンダーは、自分の心と体の性に違和感を感じながらも、それがまだ揺らいでいる状態である(と番組で説明されていた)。
完全に性同一性障害ならば、戸籍を変えることや手術を受けるという方法を使って、自分の心身の性を一致させることができる(また、そうしなくてはならないと同時に、それができる社会を作らなければならない)。
しかしトランスジェンダーの場合、たとえOさんのような、体=男性・心=女性の人の性別を戸籍上で女性に変えたとしても、いつ心が男性に戻るかわからない。というか、当人としてはその時その時を自分がいかに生きやすくするかに必死だと思うので、状況に合わせて自分の心の性が変わることはあっておかしいことではない。当たり前のことだ。死活問題なんだから。
でも、「悪く言えば、それは自分の都合に合わせている」ことであって、「(どっちつかずの状態を自ら選んでいる限り)ある程度の結果は自己責任」であるという見方もされている。
トランスジェンダーの人を客観的に見ると、男性と女性の間を揺らぎ続けている性はどちらの枠にも当て嵌めることができず、性別の決められない状態となる。その様子は周りからは「結局どっちなの?」と戸惑われてしまう。トランスジェンダーが社会的に理解されがたい理由はこの辺りにあると思う。社会側も扱い方がよくわかっていないので、認知度も低いのだそうだ。



これを踏まえてわたしが言えるのは、性差なんてない。と感じること。
Oさんが言っていたように、「Pさんと寝る時には違和感がある」ことは確かにあると思う。でもそれは、Oさんが「性転換はしていないの?」という質問に対して、「まだしてない。やっぱり自分の体に抵抗はあるけど……でもすごい子供がほしいっていうのがあるから」と言っていたのと、根本は同じことだ。
体の性は生殖のために託された機能であると思うのです。それ以外の、脳みそや視覚や聴覚や言語能力のどこに、男女を分ける必要があるのでしょうか。


それは今挙げた感覚器官見ればわたしが文系なことが分かるから反論できるんですけどね。かつて人間が生き延びるために必要だった体力の問題がある。
しかし現代にこれだけ多様化している性を、未だに認知度の低いままにしている社会が一番どうかと思うんですけどね。ホモネタで笑うやつとか心底わからんよ。傷付く人は傷付いてるのに。