mellowbrain’s blog

カウンセリングに通っています。ここには頭の中の整理を落としています。

ぶっ壊れたように働いて、ぶっ壊れたようにセックスしてる。

ただそれだけで2年半もの時が簡単に流れていた。

自分の人生を生きている感覚はない。ずっと、見たこともないどこかの神様のために、隠遁して禊いでいる気分。でもそれが何のためなのかは、もう忘れてしまった。

ぼんやりと、ただ盲目的に、目の前のことに必死で生きている。寝る暇も惜しんで、深夜まで働いて、訳が分からなくなって裸足で足がちぎれるくらい走ったり、歩道の植物が植えられている土に頭から突っ込んで大泣きしたり、そういう毎日を送っている。どうかしているのだろうか。自分では、そうなる思考の過程が明瞭に見えているから、全く正常に感じられてしまうところがたちが悪い。

 

 

特殊な仕事に就いた。特殊なことができるようになった。この仕事はマイノリティではあるけれど必要とする人がいて、社会貢献性は高い。

が、職場環境はブラックだ。人手が足りないばかりか、若手、中堅を育てるべきベテランがどんどん減っていく。自分の今の能力以上の仕事が求められ、神経を擦り減らし、多忙を極めている。

本来自分が生きているということのあまりの空虚さ、無意味さに気付かないでいるためにはうってつけだ。私みたいな自己犠牲型の人間は一番行ってはいけない世界。泥沼にはまって抜けられなくなる。がむしゃらに働いて、自分自身や他人に必死で認められようと努力していないと、空っぽで死んでしまうから。

 

 

この仕事は私にとって、もともと腕がある分野ではない。でも、なるべくしてこの仕事に就いたと思う。

少しでも良いものを提供するために努力が必要だから、一生懸命頑張る。諦めないで、身を粉にして働く。世間では「がんばりすぎず、余裕をもって、息を長く働けるようにした方がいい」なんて言うけれど、正直そんなことは自己肯定感を保って生きてこれたやつの言うことだと思う。

毎日、精神的に生きるか死ぬかをさまよって生きてきた人間には、日々の成果が全て。頼れるのは、自分の目に見えて、手にとれて、体で感じられる努力の成果だけ。信じられるのは、今日もこんな時間まで死ぬ思いで努力をしたと言う疲労感だけ。

しかも、客観的にはまずまずの成果が出ても、今回は運が良かっただけと考える。悪い結果になったら、自分の努力不足を呪う。

 

 

楽になんてなれない。

 

 

人生は、自分を楽しませたもん勝ちと言う。

私の人生は、見たところどんどんアブノーマルになっていく。

主人公が不在なのに夢が続き、脳が焼きマシュマロのように焦げて溶けていて、性の感覚だけが息をしている。

どうしてこうなったのだろう。