中学高校と通っていた学校の音楽部コンサートに11年ぶりにOBで出てきた

顧問の先生が最後かもしれないという知らせを聞いて、タイトルの通り弾丸帰省した。
中高は精神的にとてももがいていた時期だったので、楽しいことなんて一つもなくて、だから何にも思い出せず、覚えているのはブレザーの胸ポケットに銀色のMDを入れて授業中に椎名林檎やPE'Zや菊地成孔やくりぃむしちゅ〜のANNを聞いていたこととか、クラスマッチがつまらなくて体育館で寝てたこととか、ちっとも分からない数学を不毛な態度で受けている間に911が起きて災害が起きて自分は誰も助けられないのが毎日申し訳ないと思ってたこととか、そういうことばっかりで、できれば思い出したくない思い出だった。結婚式なんかで同級生をたくさん呼んでる友達がいるけど、そんなことできないなとなんか居心地悪く思ったりしてきた。
でも今日大きなホールに立って、まぶしい照明と客席が見えて、首にぶらさがるサックスの重みを感じて、ずっと忘れてたことを思い出した。
このホールで、あの時もみんなでブラックミュージックやジャズを吹いて歌って踊ってた。あれは本当に心から楽しかった。終わりたくないと思った。Septemberという曲のイントロが始まって、これから4分弱続く夢のような音楽を考えるだけで体が震えた。ソウルはなんて素晴らしいんだろうと思った。ミラーボールが回って世界がきらめいていて、みんな舞台で踊っていた。舞台に乗りきらない人たちが花道にも溢れて、みんな歌って踊っていて、吹奏楽部はCool head&Warm heart、どんなに盛り上がってもテンポはキープ。指揮を見ると先生が1番高くジャンプしていた。
あれは「みんな」の中に自分が含まれていると心から信じられた瞬間だったし、誰かと一つになるのを感じられた。
あの時の目や足や体がいまもここに持続していて、わたしが生きている。
ずっと嫌いだと思ってた中高、「いくつになっても絶対にこの痛みは風化させてやらないために」と思って刻まれた傷はまだ体に残っているけど、
許せる時が来た。
部活がすごく楽しかった。友達だってたくさんいたし、また会えても仲良しだった。そうだ、先輩に憧れていて、後輩とも仲が良かったんだった。副部長をして、毎日最後に施錠して帰ってた。そうだった。
過去から逃げるように東京に出てきた。もう触れてはいけないものだと思いながら、いつも背中に張り付いていたもの。
過去、悪くなかった。


筑波になんて来たくなかった

好きな人と2人筑波山に登ったのはもう数年前のことで、あの時は山登りが楽しかった。それから数年経って2017年SUMMER、わたしは研修を受けに再びこの街に1人舞い降りる。かつて歩いたこのバスターミナル、このクレオスクエアのmont-bellにColumbiaに疲れて入ったサイゼリヤ、全部昨日のことのようなのに、実際に目にして足で踏んでも、あのバスターミナルもmont-bellもColumbiaもサイゼリヤも、全部別の世界線に飛んで行ってしまって、やはりどこにもない。君は消えた。わたしは弱り、強くなり、尖って、また突き刺すように暮らし始めてからは、おろし立ての鉛筆みたいにずっとちゃんと尖っている。
時々ふと、なんかこのかんじ単音のメロディみたいだなと思うことがあって、ピアノを人差し指1本で弾いてるみたいな、和音のない曲みたいに、本当はなんだかずっと心許ないって気付くと、ワッと涙が出る。でもそれも、そんな感じがするだけで、本当に涙が出るわけじゃない。
わたしの知ってる人たちはみんなほんとにこの世界にいるのかな。騎士団長殺しを読んでいる。意味のわからない、想像上の人物が出てくるこの本は、「みんなほんとにこの世界にいるんだよ」と言っている。
研修は面白くて、やはり勉強するのは大切だなと気付かされる。固定概念を崩す必要があるとのこと。

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ドラムの先生が写真の個展を開いた。

ドラムの先生と出会わせてくれた同僚の方々と仕事帰り見に行く。そしたら、わたしが連れて行った建物から見える風景とか、雨のコンクリートに当たる濡れた光がその壁にぺったりと貼り付けられている。

写真は切なすぎて苦手。止まった時に引きずり込まれるから、音楽が必要。

音楽は止まれない時を刻むカウントで、定規が空間に数字をつけることや、漠然とした気持ちに名前を付けて感情に変えるのとおなじだ。

 

おしゃれな街で、古民家カフェでグリーンカレーたべて、おしゃべりして、明日もあるからって電車に向かい、笑顔を見て、手を振って、家へ。

 

先生と話していると明るい気持ちになります。いつもありがとうございます。自分が何者と何事からもtreatされるべき、侵すことのできない人権のある人間だと感じられる。

 

とは思っても、本当はわたしはそんな良き人間じゃなくて、がんばらなくても大丈夫な人が嫌いだし、好きな人の愛情は独り占めしたいし、物分かりのいいふりをして嫉妬深いし、許せない人のことは一生許せないし、お化粧何にもしてなくても可愛い女の子には理不尽を感じるし、自慢話ばかりで1ミリも面白くない男の子のセンスのなさには正気を疑うし、嫌われたくないけどおいしい思いはしたいし、本当はぜんぜんtreatされる価値のある人間ではないのだった。

 

でも、帰り道の電車でiPhoneを起動して聴くわたしの愛すべき最強プレイリスト「2016.0627.」の中の、「街の報せ/cero」だったり、「琥珀色の街、上海蟹の朝/くるり」だったり、「MIRROR BALLS/菊地成孔DCPRG」、「ネトカノ/Sugar's Campaign」、「ジョン・L・フライの嘘/清竜人」、「Mary Jane/Mary J. Blige」、「My Girlfriend/YUCHUN」等々々、それら素晴らしい音楽に共感したって許されるような、見合うような人間ではいたいと願っている。忘れつつあったり、忘れられなかったり、悟ろうと努力したり、ちっとも許せなかったり、ぜんぜん良い人間じゃないけど、やはり。

 

清竜人25解散し、Suchmosは独立し、℃-uteがいなくなった2017年の梅雨の大気を吸って吐いて生きている。

あいみょん、「愛を伝えたいだとか」、これは良曲。


15時を回ったら急に体が金曜日モードに。。

ワーク、大人の関係、気丈にふるまうということ!

可愛くなりたいな!

疲れたのでザネッティのアイス珈琲を甘くして甘くして体を甘くして、すこし回復する。

コピーしてると「顔が疲れてるよ」と、

あたまがよくないおんなのこのふりをするのがいちばんかわいい。

Virtual Insanity


Jamiroquai - Virtual Insanity (Official Video)

今日はお昼に明太子ペペロンチーノを作って食べるまで家に人がいて、その人が電車で出かけるのを見送ってからは1年に数回しかない午後のティータイム的な時間を一人で家で過ごす日になったので、あぁと、一人になることに少し緊張しながら、帰り道の並木道は寒いなぁと思いながら帰りました。

帰って、わたしじゃがいもなんて全然好きじゃないのに一回先輩がマッシュポテト作ったときに「コーヒーフレッシュ入れたらおいしんだよ」と言って作ったのが本当においしかったのでついにじゃがいもと仲良くなりはじめようかなぁと思って買ったけどほとんど使いきれないコーヒーフレッシュがあったので、3月に徳島へおよめに行った女の子が譲ってくれたvegetableの電気ケトルでお湯を沸かせて、珍しくコーヒーじゃなくてチャイのティーパックに注いでコーヒーフレッシュを入れて、砂糖を入れて甘くてあったかいチャイのできあがり。

それから某企画のニュースを書いて担当者に送り、またチャイを作って、それからピアノをひらいてジャミロクワイのVirtual Insanityの最初の2小節程度(実際には14拍で終わるフレーズ、哀愁感ありながら漸進的でジャミロは天才)を弾き始めたら永遠にループするこの2小節14拍を、永遠に永遠に永遠に永遠に永遠に永遠に永遠に弾き続けながら考えるのはまたあの人のことで、ばったり出くわして「とことん冷たくするんですね」「え」「えじゃなくて」「え」「普通に話せばいいじゃん」「話すことなくて」「普通に話せばいいじゃんて」「話す話題がなくて。あなたもわたしに話すことないでしょ」「普通に、、話せば、いいじゃん、」と言った先週の君の目のこととか、取りつく島のないわたしに大きく息を吸って物言いたげに途切れた呼吸についてまた思い出しては、その映像がジャミロクワイにのせて永遠に永遠に永遠に脳内で再生され続けている。このピアノも弾いていたら褒めてくれたなとか、音楽のことなんかちっとも知らないから左手のド、ソ(高)、ソ(低)の3つだけ弾いてたらわたしが右手を弾いたら一緒にボレロ弾けちゃうねとか、そんな記憶や思考が紐解かれはじめたらいつまで経ってもVirtual Insanity冒頭から抜け出せない。

星野源とか弾いて、いいかげんやめて、姉と義兄と弟のお誕生日会に出かける。みんな11月生まれで、わたしだけが3月生まれ。5月の連休らへんのセックスの子。

ずーっと好きだった?人がもう会わないと言ったりやっぱり撤回と言ったりしながら彼女と別れて、のくせにすぐにわたしも知ってる人と付き合って、誰も知らないしわたしも特に喋ってなかったのになぜか付き合った週に頭にピコ〜ンとひらめいて、聞いたらそうだし言う気なかったとか言うから、なんなんだ振り回されてばっかでなんなんだよこの数年の時間と心の安定返せよとか思いながら超〜〜〜〜〜〜〜〜傷ついてて、
でもまぁ大人な対応をしていようと、まじめに働いてたら上司が豪速球のわたしは絶対そうだと思ってたわたしはね、わたしはやっぱりわたしはさぁ的な、口から出てくる全言葉の主語と述語がわたし人間だから豪速球で言い返さないとこっちがやってないことになりそうで戦っちゃって、ふぉんふぉん…ってなったそのストレスを、
ぶつけようと打ち込んでたダンスで人間関係に傷ついて、せっかく友達もコミュニティもたくさんできたのにな〜アホみたい全部やめよう。と思って0になり、なんかもうどうでもいいです。とか思ってる今頃も好きだった人は誰かと。。。

なんて思いながらすごしつつ、すごく久々に会った友達たちに新宿フラッグスの上のBBQ屋さんで珍しく楽しくてうっかり腕組んじゃったら別の人から「緊張感をもって欲しいです」とLINE来て、
あ、そうですよね、すみません、距離の近いわたしが悪いです、でもじゃないとどうやって話すんだっけ、あれまじでわかんない、あぁなんかわたし人間関係壊すしな、
って家帰って思ってたら静かにパニックを起こしていた。
腕が縮こまってぎゅーってなって足が立ったまま動かなくなり、なんかあ、あ、こわいこわいこわいってなって、ばーばー泣いてるしでも声が出せないからまじでやばいやつ。
その時は頭の中でなんでこうなってるのかなんでしゃべれないのかすごく理路整然なんだけど見た目にはやばいやつだから、パニックも障害も病気もほんと日常の延長ですよ、よく症例とかで見聞きするとなんでだろうって研究されるけどすごい普通だ。
その時は人がいたからえ、え?ってなって抱えてもらって横になれた、うける。
うける。やばいやつだと思われた!

今年の年齢八方塞がりなんですよ、お正月厄除けしてこれだから、してなかったらたぶんぱないよね、神様まじハードすぎじゃね?

26歳から人生が変わった話

「精神的な夏まだ終わらんから!」とか言うその人とは普通〜〜〜の友達になった。ふつう?なんかまあなんとも思わんという感じに。お仕事がんばってね。わたしもめちゃくちゃがんばるよ。

なのだけどわたしは人生を勉強か仕事だけで過ごしてきたつまらん文化系ガリ勉女27oldなので、いや勉強の内容が好きすぎたし仕事も研究しがいのある魅力いっぱいワークだし全然つまらなくなかったんだけどつまらなくしてるのはそれを台無しにする自分の感受性と自己肯定感の低さのせいなんだけど、とにかくそんなことは置いといて

 もう楽しいことしかしたくないから傍観者でいるのはやめようと思って自分がプレイヤーになることにした。

 

以下、人生変わる経緯。

 

●昨年2015年は太鼓を習ってチームの公演に出た。

これでだいぶ人生変わった。メンバーが精神的ガチ勢のため、平日練習に行くために全員が時間を捻出して、翌日階段降りれない筋肉痛になる稽古とミーティングを終電までした。稽古と同じウエイトでミーティングに重きをおくので、アスリートのメントレのような感じ。2015冬に公演は終わって演技活動の場はなくなったけど、今はプロ公演の応援委員をしている。

 

●2016年に入って太鼓が落ち着いたので、知り合いのつてでドラムを始めた。夏にお祭りのバンドの出番で叩いた。

 

●春から社交ダンスを始めた。半年を過ぎる頃から競技会デビューした。いま週3、4で練習している。熱い人は週5、6余裕でやっててるのでペースは激烈ではないし下手だけど、サークルかけもちすると知り合いが増える。

 

 

ガリ勉とかどうとか関係なくて性格の問題で自分がコミュニティにいる感覚があんまりなかったせいでここ2年くらい外界がすごく楽しい。大人になったからだな!わたしは自分で飛び込むことは割と簡単だけどそれを受け止めてくれる人と場がないとコミュニティにはならないしそもそも指をくわえて見ていても誰も何も近づいてはこない。それじゃカタルシスにはありつけない。知識じゃなくて行動力の世界にいきたい。肉体で考えたい。肉体が思いたい。

身体表現が好きだ!

 

 

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