mellowbrain’s blog

カウンセリングに通っています。ここには頭の中の整理を落としています。

バークリ

火の中に手を入れれば熱い。激しい不快を感じる。でも熱いという感覚は心の中にあるものであり、火という物体の中に熱さが存在しているのではない。
砂糖は甘いが、甘いという感覚は心の中にしかなく、砂糖という物体の中に甘さがあるのではない。
森に行くと、木々の青臭い香りを感じる。それは嗅覚が青臭さを捉えているからだ。その青臭さの原因は森の木々の物質にあるが、その物質の中に青臭さがあるのではない。青臭いという感覚は、心の中に存在している。もし心の中に青臭さを感じる感覚が欠如していたら、森に行ってもその匂いに気付かないだろう。

これが視覚にも当て嵌まるなら、知覚する主体がいなければ、知覚される物体は存在しないということにならないだろうか。森の香りだけでなく、森そのものも同じだ。森の姿を捉える視覚がなければ、森という物体は存在しない。ドアの向こうにあるはずの町も、わたしがドアを開いて外をのぞかなければ、この世のどこにも存在しないんじゃないか。それとも、見えないだけで本当はそこにあるのだろうか。だとしたら見えているものは何なんだろう?今見えているものは存在のうちの何割なんだろう。
ちょっと待て、本当はあるけど目に見えない物体なんてあるか?