mellowbrain’s blog

カウンセリングに通っています。ここには頭の中の整理を落としています。

鼻風邪をひいちゃったら急性で翌日にはお腹にくる風邪になってめちゃめちゃお腹くだして世紀末が襲い来るので日本のみなさん気をつけてください!明日わりとビッグなワークなのにちょっぱやでさしあたりの準備すませて休み出してゆーがた帰ってきちゃった…。おなかいたにょ。。病院いったし野菜買ったしお金もおろしたしご飯炊いたしおかず作ってたべた。

でも今日中にやんなきゃいけない家族のお仕事あって夜バス乗って兄弟んとこ行って、ポストに件のモノいれて、そっこー引き返すのもなんだかなと思ってついでに量販店とか無印とかいく。

会いたい人はどこかで楽しくしてそうなので、わたしはもうすっかり拗ねることをやめまして、すべてはメンタルのもちようなんだよ無双なんだよ眠れない夜があってもいつかは眠れるから全然大丈夫なんだよと話したとおりにラッキーハッピーマーベラスでいようとおもってポイポイと買い物する。キャミソール、靴下3足1000円、ヘアゴム、ほしかったきれいな液体ポンプ容器、お茶とか作って冷蔵庫入れとく2L容器、大好きな茉莉花茶の水出し用ティーパック、箱ティッシュキュキュット詰め替え用、レノアアロマジュエルアメジストバニラの香り、ディフューザー用オイルのスウィートオレンジを買う。どんだけ考えなくポイポイと買っても日用品は日用品なので楽しいよね。生きていると消費ができていいですね。もしかして暮らすために生きるのかな。

で、またバス乗ってうち帰ってくる頃にぽんぽんたいたい…。かわいそうちゃん。

それでも明日もお仕事なので、おうち着いて明日の資料に色塗ってマグネットとか貼って出せばいい感じに仕上げて、ぽんぽんたいたいをぐるぐるしながら暮らすために生きるために眠りにつく。

世の中の女性よ、男性よ、むくわれる愛をしているか

はてなダイアリーブックサービスを8月31日をもって終了するということで、製本することにしました。
はてダを始めたときわたしは高校生で、毎日寝て起きてしてたら前の日と次の日の自分がつながってるか分かんない症候群にかかってたから、文章を書いて日記をつけたら少しは昨日も自分いたなぁって証拠になるかなって思い、はてなは製本できるというのでヤプログから引っ越してきた。大好きな文章を書く人がはてダ市民だったし。
最初は3か月限定で始めたけどなんだかんだで続いて、あれから8年と半年ちょっとの時間が経った。
わたしは受験して田舎から上京して大学2つ通って予備校行って就職して引っ越しして仕事して、今ここで明日も仕事なのに夜更かししちゃったなーと思いながらこれを書いている。製本の申し込みに間に合いたくて。
ブログという文化が好きだ。流行ってた。みんながやってた。ださいブログはブログって感じで知的でおしゃれなブログは日記ってかんじだった。言葉のセンスのある人っていて、素敵な日記は今でも胸がドキドキする。思ってることを文章にすること。何を切り取るか。どう演出するか。伝えようという気は全然抱けないまま、思ったことを書いてきた。8年もという感じはせず、たった8年でも文体や言いたいことに変遷あって、取捨選択、きっとなりたい方向に変わっていってるんだと思う、文章上手くなれないけど。書いて気付くことがたくさんあった。だけど大好きだった人たちの文章にはいつまで経っても追いつけない。もっかい読みたいなって思う、若き天才たち。
載せたかったけどなんとなく下書きのままになってた日記が結構あって、このさいだからさかのぼってほとんど挙げた。はてダ始めた頃の目が覚めた瞬間に今まですべての記憶を手に入れて今生まれた症候群だったわたしを成仏させるためにもはてダで一回製本するけどぜんぜん今後も書く気まんまんはてダはてブロありがとう!やめないでね!もう寝なきゃ。高校生のわたし、大学生のわたし、眠れなすぎて部屋の角の洗濯物干しがうにょうにょこっちに伸びてくる幻覚を視てたわたし、わたしは今でも寝付くの超下手だけど仕事があるから寝れるようになるから安心してよかったんだよ!

1月の日記 短歌
http://www.cinra.net/interview/2013/09/19/000000.php

ハルカ:いつも考えているのは、「怒り」と「恨み」の言葉は違うということで、「怒り」の言葉は使いますけど、「恨み」の言葉」は使いたくなくて。自分の感情を追っていくと、「恨み」には対象がいて、感情に任せて「恨み」の言葉で書く方が簡単なんですけど、その根本には「怒り」がある気がしていて、そっちを表現しなきゃいけないなと思うんです。
穂村:「恨み」だと、完全に個人的なものになりがちだけど、「怒り」だと、代弁することができますよね。
(中略)そういう決意や大きな志とリンクするには、「恨み」じゃなくて「怒り」の周波数じゃないと太刀打ちできないというか。あと、「恨み」の場合は原因がなければ発生しないけど、こういうタイプの「怒り」は世界中が幸福にならないと消えないと思います。お金持ちになって、彼氏と上手くいって、人気者になったら消えるような「怒り」は、表現者として弱いですよね。<<


怒りでも恨みでも構わないけどわたしはそうは思わなくて表現に誰かの代弁なんてはじめから想定して抽象化する必要なんかなくて、何があって今どう怒ってるとかこんな状況を恨まないでいられないってべったり血の付いた言葉の方が刺さるしそれに勝手に共感するもんだとおもうというか自分はそうだ。なぜぼくたちは広いセカイで戦い…とか言われてもわたし朝夕の寒さとすぐ怪我することとプレゼン準備が終わらなくてイライラするのとカスタマーさんとの連絡にビクビクしてるのとメールが返ってこないさみしさとしか戦ってないし。抽象化するよりむしろ生活レベルのずっと上の方に渦巻いてるぼんやりした悲しさを言葉で引きずり降ろして地に足付けさせてほしい。

だから固有名詞。固有名詞のきらびやかで毒々しい魅力。日記を書くみたいな個人の日常とそれに対する解釈をのぞきたい。


とは言え表現者が怒りや恨みからものを生みだしてるって話はすごく嬉しいから抜粋した。少なくともわたしはそういうのないと頭働かんし、人は「負の感情はすぐそっちに引きずられちゃうからできるだけ感じたり口にしたりしないようにしてるしそもそも寝たら全部忘れてスッキリ」とかゆっててそんな人間しかおらんのかって凹んだから。さわやか太郎がいれば恨みそねみ子もいてそれがワールドイズノープロブレムということが確認できて安心しました!


短歌いいよね。ほむほむ読みたいから明日の朝は池袋のジュンク堂で買い物しよう。

1月の日記 短歌
短歌の何が好きかと言われると、情景を切り取って一瞬でその瞬間に立たせるところです。このスピード感。そして、それでどうだと言うわけではなく、物語にオチを求めるわけではなく、でもその瞬間の風景や匂いや味や音や、それらに打ち当たっている感情をただ肯定しているところです。


それは短歌がより詠んでいる人間の陰を匂わせるからだと思う。まるで自分がその人の内側に忍び込んで、その目で見ているような感覚に、たった一行で連れていけるのが短歌。
というわけで、現代短歌。

冷凍都市の暮らしは熱帯夜でSummer Soulです。
大好きなcero、7月ツアーラストのZEPP行った。結構最前で踊って、Yellow Magus、Orphans、勝手に体が動くってかんじで、やっぱ最高だ。シティーポップとかHIP HOPとかエキゾ音楽とか色々言われてるけど、ceroはすごくリアルにこの西暦でやってる感あって、のはずなのに世界線がちょっとずれてるような、同じ西東京の地を踏んでるのに一生出会えない友達ってかんじがして、おしゃれで陽気でちょっとせつない。
Contemporary Tokyo Cruiseの真ん中きれいになるとこ、「いかないで光よ、わたしたちはここにいます、巻き戻しして」のとき高城さんを後ろから照らしてた光をよく覚えてる。あの時なにかに祈るみたいな気持ちだった。わたしを構成する声なき細胞たちが今ここで粉になってなくなっても構わないからどうか、って思ってたのは世の中に対してなのか誰かになのか自分になのか、思い出せないけど、
無事でいてください、あなたの痛みや悲しみなんかなくなってくださいって祈りで胸がしめつけられて初めて幸せが分かる。痛くないと気付けないなんてなぁ。
大停電の夜に、の演出でフロアもステージも全部の明かりが消えて、自分一人しかいなくなったみたいな暗闇の中握っていたもの、あれは覚えていたいけど暮らしていくうちにすぐに忘れちゃって、そのことにも気づかないで永い時が流れて、思い出だけが化石になって誰にも見つからないところで息を潜めてる。