風邪が治らず病床ぐあいがひどいです。内省的すぎてとても読めたものではないが考えを忘れないように言葉にしとく。
こないだの仕事の話だけど、結局それは自分が何に重きを置くかっていう問題なのやもしれん。仕事愛してる人は丁寧に仕事をできる人間になるのだろうし家庭やその他を重んじる人はそれはそれでその人なりの充実であって、ただそれに比べたらよく働く人は仕事の経験値が着実に増えるというだけの話なのかもしれん。ああお願いだから神様平等にしてよって思っちゃう。でもほんとはこういう低次元の悩みで時間と精神浪費するよりもっと革新的な高次の悩みをもちたいです。イライラするのは人間が浅いから。つまり赦せ、わたしはもっと優しくなれということだ。もっと苦労をいとわないようにならなくちゃ。自分でいうのも何だけど昔わたしはばかみたいに優しくて人の幸せを最優先していて思春期特有のけったくそ悪い犠牲的精神で動いていて、だけどそんなの所詮利他的演出による利己主義にすぎなかったからこんなものは簡単に崩れ去って安い絶望にのみこまれて、それから冷たくなっちゃった。全部に背を向けて歩いてきてしまった。胸糞悪い利己的な優しさを人に押し付けて満足していたツケが自分に返ってきただけなのにそこで成長が止まってる。それを直視したくないから「大人になった」って呼んで防御してる。いろんな不条理に心を折りながらも自分が折られないように冷たさのバリアを張って世間を知ったような顔をしている。
そんなことないはずなんだよ、なにかあるはず、無理を感じずに他人に優しくなれる方法が、。できてる人がいるんだから。今でもたまに天使みたいな人がいて、あれは驚異的。優しさに余裕があって神々しさに畏怖すら感じる。菩薩になりたい。無になりたいあ。前はもっと損得をかえりみない人間だったのにいつのまに変わっちゃったんだろう。もっと無で、煩悩とか計算とか苦労とかすっ飛ばしていられたのに。ほんとうの犠牲的精神は何も求めずに苦労を笑顔で引き受けること。半端に優しくったってフラストレーション溜まるだけで悪質だ。下心で汚れていて信念がない。
優しさは突き抜ける勇気がないとだめだ。