結構派手に大風邪をひきましてぐったりしています。上は寝ていてもかわいいなっきぃなのでわたしじゃないです。熱でうなされているときって起きていても変に夢見心地で、考えていることの前後の脈絡がどんどんなくなっていって、だけどそのときは自分にとって重要なことのような気がして真剣に考えているのが可笑しい。犬が逆立ちするのを固唾を飲んで見守っている妄想とか(妄想と気付かないまま)、電話してないのにiPodを電話代わりに耳に当ててたりとか。くだらない白昼夢が右から左に通りすぎてく。
どうでもいいことなんですけどわたしどちらかというとイライラしやすいたちなんですよ。ほんと、ささいなことで苛立ってしまってよくない。例えば電車、だいたい電車内とはほとんどの人が冷たく自己中心的になる場所でそういうのが見え透いてイライラしかしないから電車にものすごい嫌悪感というか抵抗感を感じていて好きじゃないです。それに一度乗ったら目的地まで降りられないからその間にイライラすることがあっても逃げられない。さらにもしあまりにもイライラしてしまって耐えられなくなったとき自分が突発的に何か恐ろしい行動に出てしまいそうな予感がして怖いんです。時々自分が何をするわかんなくて本当に怖い。全校朝礼のとき静まり返った校庭で大声で叫んでその静寂を破ってしまいたい衝動ってあるじゃないですか。それに似てます。そういう感じでなだらかに予期不安になっちゃってよくないです、、ははは。こんなの軽いパニック障害じゃないかとかたまに考えるんですよ。考えたところでなにもしないですけど。横に知っている人がいれば全く平気なんです、電車でも渋滞でもなんでもこいです。見ず知らずの人の群れというのが非常に厳しいんすわ。
というどうでもいい話だったんですけどさいきん悟ったことは世の中は不条理だなってこと。たとえばわたしなんかは未だに学生やってて無駄に忙しくて満足にバイトも入れない状況なので、お金ないよー労働してお金もらえて社会人いいなーはやく就職したいわーーーってすごく羨ましく思ってるんです。でも社会人になってお金もらえるようになっても、職場にはいろんな人間がいるわけで、ちゃっちゃと最低限の仕事すまして要領よく定時で帰る人もいれば、雑事も含めていろんなこと考えたり準備したり根を詰めて仕事して遅くに帰る人もいるわけで、でがんばってる分残業代が出るかって言ったらそんなことないのが現実です。別に前者を責めるつもりはないですけどおんなじ給料で仕事量がちがったりして、なんかもうそういうのわたし絶対イライラするんだろうなーとか思って。そしたら、結局働き出しても今とおんなじようにささいなことでイライラしちゃう人間性のままなんだろうなって思ったんです。不平等、現実ってそういうものだと思います。でもそのささいな不条理にいちいち傷付いちゃって疲れるよ。くたくただよ。こういうときに、万人幸福同量説とかを本気で信じられたらいいよね。あの「幸せの量はみんな決まっていて悪いことがあればそれに見合ういいことが必ずある」っていうやつ。くりぃむしちゅーの上田さんが信じていてバナナマンの設楽さんが信じてないやつ。苛立ちやすい人の考え方ってまず「こうあるべき」みたいな理想があるからそうはいかない現実とのギャップに苛立ってしまう、だからまず「理想を捨てる」「初めから期待しない」「お互い様と考え」ておけばイライラしないでいられるとか言いますね。でもわたしはまだ青いのであんまりそうは考えられないです。わたしなりのストラテジーは「赦す」ことです。「赦す」という行為は何よりも重要で優位である。この言葉が好きです。つらいときは宗教的な気分で乗り越えます。
世間は冷たいです。名前のない人は自己中心的で怖い人ばっか。でもわたしほんとのほんとは信じてたいんだろうな、大人の事情や社交辞令じゃない純粋な心遣いで救われることがあるっていうのを心の奥底で覚えときたいんだよ、バカ正直に。だからそうじゃない現実にこんなにすり減るんだろうなあ