ともだちが夜の新宿のパスタ屋さんであたし今子連れと付き合いはじめたんだーとかゆったときわたしはふーんそうなんだっておもっただけで、ふつーにさいきんよくこどもと公園にいく話とか別れた元妻が親権返せって裁判おこしてる話とか聞いてたいへんだねとかゆってたんだけど、今よくかんがえたらそのともだちが男といちゃいちゃしてるときに一緒にだっことかしてるそのこどもは好きな男が他の女に産ませたこどもで、それって男が昔他の女のことを好きだ愛してるお前が俺の全てだ世界だ海だ母だあーこいつ狂おしい孕ませたいーとかおもってずぶずぶ穴に突っ込んだ挙げ句その股からずるっと出てきたセックスの証なわけで、だからそのこどもは好きな男と知らない女とのセックスの化身なわけで、そうおもうとふーんじゃすまないことのような気がした。
やさしくてにこにこしたこどももあたまのいいこどもも運動ができてみんなからかっこいいっておもわれてるこどももみんな要は存在がセックスで、その子の言うことなすこと考えることすべてにセックスが付き纏って、こういってるわたしとかも頭から爪先まで存在丸ごとセックスなわけで、そのセックスというダーティーでアダルトなイメージから逃げようとしても生まれた限り一生抜け出せない。っていうのはネガティブな捉え方だけどポジティブにかんがえればすべての人間は親の愛の瞬間を止めて「このまま時間が止まればいいのに」っていうあの時間をほんとに止めてそのまま形にした記憶なんだね。愛じゃない場合もあるけど。まとめ。セックスはこの世の幸せの意味がぜんぶわかった気になる至極の快楽で、それを消えないように形にしたのがあのずるっと出てきてほっとけば今にも死んじゃいそうな無防備な羊水ぬるぬる赤ちゃんで、それは生きていて、それはわたしたちなわけだ。∴セックス=生きてる。