アンドロイドは電気羊の夢を見るか?

みくしーにおなじたいとるのにっきをかきました。めずらしく人にみせるにっきなんかかいた。じぶんのために文章をかく


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朝起きたらのんでもないのに二日酔いみたいであたまいたいいい、っていうのは生理で、つらい、体温あがんないのにむりやりうごいて
皮膚科にいく、ルーティンワークの目をしているせんせいこわい
おひるすぎゆうきをだして中学校にでんわをかけた。1月に帰省したとき話し合いにいくことがきまった。ちゅうねん先生イケメソうふふ。社会科のせんせいにばっか恋してたな 電話するとなまる
あたまいたああああっておもいながら家でてがっこういってサークルで3じかんくらい活動して
よるは図書館しまるまでかだい。
「自由意志の視点から見て人間と機械に違いはあるか」というレポートをかいた。すっげえきもちわるい。けど今のあたまのなかは整理できた。疑問ばっかのこって論じなさいになってないけどすきなこと真剣にかんがえたんで受理してください教授・・・・。
西田幾多郎の『善の研究』の第3編第3章、これはだいじによむべき。意志は自由なのか自由じゃないのか、わたしは機械なのか人間なのか、人間と機械は何が違うのか、機械は考えられるか、人間は本当に考えてると言えるのか、、、、。



自由意志の問題いがいだと、さいきんは、っていうかここ一年以上はもっぱら独我論独断論VS実存主義の確執にしかきょうみもてない。。アリスとテレスの不動の動者の話とか2年前はあんなに感動して聞けたのにぜんぜんだめだうそくさくきこえる







デカルトの密室 (新潮文庫)

デカルトの密室 (新潮文庫)

11月は一ヶ月かかってこれを読んでた。
これは、もう、じんせいのテキスト。バイブル。すごい本。哲学科のテキストにすべき。って、わたしが盲信するのは、かんがえててかんがえたくて、でも学科の授業であんまりふれてくれない問題、自我問題とか、心身問題とか、心身二元論、人間機械論、因果律アイデンティティ問題、デカルト、ダニエル・C・デネット、・・・入力された感覚情報があたかも脳内のスクリーンでまとまって映し出され、それを自我の主体であるホムンクルス(小人)が眺めている、じゃあホムンクルスの脳は?そこにもさらにホムンクルスが、と考えていったらはじまってしまう終わらない無限退行、というデカルト劇場の指摘・・・、チューリング・テスト、中国語の部屋、フレーム問題、逆さ眼鏡、眼の構造、2001年宇宙の旅、なぜ主観がひとつだといえるのか、機械は自由意志をもてるか、自由意志とはなにか、意志に自由がないことは明白であって、でも単に因果律に従ってるだけでもなくて、われわれはその行為の現象を知っていることによってのみ、意志は自由である、抑圧すらも、牢屋にいてすら少なくとも牢屋の看守よりは自由である、ソクラテスのように、っていう意味においての自由が真の自由意志であって、、、、だからAIは意志をもてるかもしれない、というかじぶんが意志をもっていると信じて疑わないAIにたいして、AIが間違って人間を殺さないようにさまざまにプログラミングをほどこして制約を設けている作り手のじぶんは、AIの自己意識を操作して箱庭に閉じ込めていることになる?AIの信じている自由はぜんぶシナリオどおりのオハナシにすぎないの?ここでユウスケはつくられてまだなんにもわからないケンイチを人間の赤ちゃんを育てるように時間をかけてすこしずつこの世界での生き方を教えていったけど、育てるということがルールを決めて守らせることで、それを守り続けることが意志を選択して決定してそのくり返しで生きていくことだとしたら子どもを育てるということはどういうことになるの?人に育てられたわたしたちは何を生きているの?わたしたちが自分で選んでやってるとおもってることはほんとは自由に選んでなんかなくて決められたことなの?それを決めるのは環境?教育?遺伝?   って、なんかだんだんそれていきましたけど、こういうことを考えさせることが書いてあって。これわたしのための本じゃないかって、だって学科の人もあんまりこのへん興味ないっぽいってゆーかみんな実存主義ばっかゆってるから、、、、まあいいんだけど、とにかくわたしにとってすごく勉強になる、導いてくれる本でした。
外からは区別のつかないふたつの部屋があって、どちらかはわからないけど一方にはコンピュータが、一方には人間が入ってて、第三者がその両者とチャットで会話する。その会話の中で、どちらがコンピュータでしょうか?っていうのを判定するのが、チューリング・テストなんだけど、そんなのね、人間らしさと機械らしさなんて、わざと機械らしく答えたって、そういうさかしさが逆に人間らしくなってしまうし、ほんとうに区別のつかないときがある。人間の入ってたほうが機械っていわれたとき、人間らしさは揺らぐ。お前は機械だっていわれてなんて反論できる?できない。 人間らしさって?
そこを西田幾多郎は内的な意識が自分の行為の現象を知っていることに根拠を見出すわけですが。
かきすぎた。もういいや。





あるおとこのこがさいきんにっきにかいた文章で、「わが人生21年の中で、」ということばづかいをして、いがいだったそのことばは君が使うときれいだなっておもって、なのでそれをお借りするとわが人生20年の中で、瀬名秀明という人物がわたしのなかにとびこんでこなくて、今までも彼は存在してたのに、わたしはそれに気づいてなかっただけで、ここにきてとつぜんであった、それだけのことなんだけど。そういうこと。いいたいことはそれだけでした。






すてきなものみつけたのではる
http://d.hatena.ne.jp/optical_frog/20090801/p1



人生へ おやすみなさい