8千年すぎたころからもっと

連日おそいですがよくもまあいいたいことはつきないなとあきれる。



ナイタアカオニってはなしあるじゃんあのせつないやつ、あの美しさってなに?アカオニくんのねがいのためにぼくは犠牲になってかまわない、げんきでね、どこにいてもずっときみのともだち アオオニより、って悪役演じてひとりぼっちでがまんして、それがきれい感動するってはなし、それでいいの?ああいうのが日本人の犠牲精神とか忍耐の美学を助長してるわけで、そんなのアオオニかわいそすぎるじゃん。
アクエリオンきいててもおなじこと思う、「きみはくりかえしおとなになって なんどもなんどもとおくへいって みまもるぼくがねむれないぼくが くしゃくしゃになったとしても きみの名をうたうために」  ってすごく刺さるけどさ、刺さるからこそあえてこういうことをいってるんだけど
日本人はそんなにじぶんががまんしてるってことがいいたいの?なぜ妥協しながらもみんながしあわせになる方法をさがそうとしないの?自己犠牲の上の博愛がそんなにいいことなの?



 ルサンチマン



とかおもってるあいだはやっぱりやさしさがたりないのかな、、。わたしにひつようなのはそれ。うわべでかんたんにやさしそぶってるだけ。フェアじゃなくなるのはじぶんがフェアになろうとしないからだよ。ふまんかかえそうならじぶんからうごかなきゃなにもないんだよ。

などとゆうのも
けりおとされてけりおとしてしていかざるをえない、そういうものだとたぶんどこかでおもってるんだけど、それがげんじつなの?なんかわたしがまちがったみかたをしてるのかな、、




ながくなってしまった。要約能力ほしい↓↓



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かんけいないはなし

のどもとすぎればあつさをわすれて、ついこないだまであんなにかなしかったことも今じゃふいに大丈夫におもえるのは思い出がうすれて麻痺してるから。




一万年と二千年前からア・イ・シ・テ・ルー♪