ドラムの先生が写真の個展を開いた。

ドラムの先生と出会わせてくれた同僚の方々と仕事帰り見に行く。そしたら、わたしが連れて行った建物から見える風景とか、雨のコンクリートに当たる濡れた光がその壁にぺったりと貼り付けられている。

写真は切なすぎて苦手。止まった時に引きずり込まれるから、音楽が必要。

音楽は止まれない時を刻むカウントで、定規が空間に数字をつけることや、漠然とした気持ちに名前を付けて感情に変えるのとおなじだ。

 

おしゃれな街で、古民家カフェでグリーンカレーたべて、おしゃべりして、明日もあるからって電車に向かい、笑顔を見て、手を振って、家へ。

 

先生と話していると明るい気持ちになります。いつもありがとうございます。自分が何者と何事からもtreatされるべき、侵すことのできない人権のある人間だと感じられる。

 

とは思っても、本当はわたしはそんな良き人間じゃなくて、がんばらなくても大丈夫な人が嫌いだし、好きな人の愛情は独り占めしたいし、物分かりのいいふりをして嫉妬深いし、許せない人のことは一生許せないし、お化粧何にもしてなくても可愛い女の子には理不尽を感じるし、自慢話ばかりで1ミリも面白くない男の子のセンスのなさには正気を疑うし、嫌われたくないけどおいしい思いはしたいし、本当はぜんぜんtreatされる価値のある人間ではないのだった。

 

でも、帰り道の電車でiPhoneを起動して聴くわたしの愛すべき最強プレイリスト「2016.0627.」の中の、「街の報せ/cero」だったり、「琥珀色の街、上海蟹の朝/くるり」だったり、「MIRROR BALLS/菊地成孔DCPRG」、「ネトカノ/Sugar's Campaign」、「ジョン・L・フライの嘘/清竜人」、「Mary Jane/Mary J. Blige」、「My Girlfriend/YUCHUN」等々々、それら素晴らしい音楽に共感したって許されるような、見合うような人間ではいたいと願っている。忘れつつあったり、忘れられなかったり、悟ろうと努力したり、ちっとも許せなかったり、ぜんぜん良い人間じゃないけど、やはり。

 

清竜人25解散し、Suchmosは独立し、℃-uteがいなくなった2017年の梅雨の大気を吸って吐いて生きている。