こよなく愛する、おばけ、ゾンビ、屍について(きもちわるくはないです!)、
何が好きなのか、言葉にできる範囲で考えた。
おばけやゾンビ作品と言うと今はさまざまありますが、どちらかというと無意識になって噛み付いてゾンビ増殖する系の作品でなく、むしろ死んだことを受け止めつつ生前の意識を多かれ少なかれ保ったまま蘇っている系の作品が好きです。
大槻ケンヂのステーシーズや、筋肉少女帯の歌に出てくる少年少女が代表格。

岸辺の旅 (文春文庫)

岸辺の旅 (文春文庫)

本を読んだ。死んだ夫の屍が生身をもって3年かけて帰ってきて、その長い帰り道を逆再生みたいに今度は2人で辿っていく。「岸辺の旅」。
屍の良いところは死んでもなお求めるものを生者に教えてくれることだ。それは人によってさまざまで、恋人だったり、意識だったり、歩くという実感だったり、食べることだったりする。それをまだ生きている時に知れること。喪って気づくことを、喪う前に知れること。何を求めているか分からないままふらふらとさまよっている者もいる。アイデンティティを探している。
おばけになったら、食べなくていいし、寝なくていいし、働かなくていいし、セックスしたいと思うかもしれないけどしなくていい。そういう、生きていたら避けられない(あえて言う)雑事を超えた存在としてありながら、死んでもなお蘇るほど求めるものって崇高で、美しく、なんて尊いんだ。それが、「もう一度歩くため」とかそんなあまりにも取るに足らないことだとしたら、それはなおさら今生者として存在できているうちに考え直さなければいけないことだし、ああだこうだと不満を述べたりだとかさみしいとかどこまでいってもひとりぼっちだとか考えるのが恥ずかしいくらい生は美しいものだと思い出せると思うの。「これは人生、わたしの人生、誰のものでもない!」と歌い出したくなるようなカタルシスを生きていてどれくらい思い出せるか、そこで我が甘き孤独と勝負すべきだし、戦いの末にひとつ上のステージで孤独と手を取り進んでいくべきだと思うのです。


おばけになっても


再殺部隊