1月の日記 短歌
http://www.cinra.net/interview/2013/09/19/000000.php

ハルカ:いつも考えているのは、「怒り」と「恨み」の言葉は違うということで、「怒り」の言葉は使いますけど、「恨み」の言葉」は使いたくなくて。自分の感情を追っていくと、「恨み」には対象がいて、感情に任せて「恨み」の言葉で書く方が簡単なんですけど、その根本には「怒り」がある気がしていて、そっちを表現しなきゃいけないなと思うんです。
穂村:「恨み」だと、完全に個人的なものになりがちだけど、「怒り」だと、代弁することができますよね。
(中略)そういう決意や大きな志とリンクするには、「恨み」じゃなくて「怒り」の周波数じゃないと太刀打ちできないというか。あと、「恨み」の場合は原因がなければ発生しないけど、こういうタイプの「怒り」は世界中が幸福にならないと消えないと思います。お金持ちになって、彼氏と上手くいって、人気者になったら消えるような「怒り」は、表現者として弱いですよね。<<


怒りでも恨みでも構わないけどわたしはそうは思わなくて表現に誰かの代弁なんてはじめから想定して抽象化する必要なんかなくて、何があって今どう怒ってるとかこんな状況を恨まないでいられないってべったり血の付いた言葉の方が刺さるしそれに勝手に共感するもんだとおもうというか自分はそうだ。なぜぼくたちは広いセカイで戦い…とか言われてもわたし朝夕の寒さとすぐ怪我することとプレゼン準備が終わらなくてイライラするのとカスタマーさんとの連絡にビクビクしてるのとメールが返ってこないさみしさとしか戦ってないし。抽象化するよりむしろ生活レベルのずっと上の方に渦巻いてるぼんやりした悲しさを言葉で引きずり降ろして地に足付けさせてほしい。

だから固有名詞。固有名詞のきらびやかで毒々しい魅力。日記を書くみたいな個人の日常とそれに対する解釈をのぞきたい。


とは言え表現者が怒りや恨みからものを生みだしてるって話はすごく嬉しいから抜粋した。少なくともわたしはそういうのないと頭働かんし、人は「負の感情はすぐそっちに引きずられちゃうからできるだけ感じたり口にしたりしないようにしてるしそもそも寝たら全部忘れてスッキリ」とかゆっててそんな人間しかおらんのかって凹んだから。さわやか太郎がいれば恨みそねみ子もいてそれがワールドイズノープロブレムということが確認できて安心しました!


短歌いいよね。ほむほむ読みたいから明日の朝は池袋のジュンク堂で買い物しよう。