ブランショからの一節

——「一緒に拘束されている、だって?」
——「同じ話へと拘束されているんだ」
——「そのとおり、でもまた、だからこそじつに注意深くしていなければいけない。ぼくは自分の責任を意識している」
——「ぼくもきみに対しての責任を意識している」
——「きみはそうだ、それを認めなければ友愛にはずれよう、けれど、ある程度までのことだね」
この限界とは何だろうと彼は考える、ついで彼は自問するのをやめる。
「つまり、ぼくらが話をするかぎりで、という意味だね。そのとおりだ、話すということが、ぼくらに残された唯一のチャンスだ、話すということがぼくらのチャンスなのだ」

デイヴィドソン  ?「言語」なんて存在するのだろうか シリーズ・哲学のエッセンス

デイヴィドソン ?「言語」なんて存在するのだろうか シリーズ・哲学のエッセンス


「言語なんて存在するのだろうか」というサブタイトルが示唆的。
会話は、聞き手がどう解釈するかに全てがかかっていて、話し手の意図や、ましてや気持ち(などというものが存在するなら)なんて、議論にあげることすらナンセンスと断絶するところ、面白い。