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悲しくなったので、日記を書きます。罵声!ガッデム!にたいして、ちゃんと目をにらんで、思ってることをすなおに(!)いうなんてことしたことなかったけど、やってみたらそれまで冷やついていたものがみるみる熱をもって、とりかえしのつかないような、もう後には引けないような、あれは感じたことのない背徳的感覚だね。理路整然と正論を言うなんてことは、かなしみを曖昧にぼかして粘土みたいにこねこねポイしてきたわたしにはずいぶん嫌な女に思えてなんだか、大変居心地が悪い。
深夜3時、臭い汚い冷たい床に座ってなぜだかぼくたま読んで、倉橋ヨエコのことを思い出して泣くという、みじめさ!「ありがとうを忘れた子は一人では生きられません」。そうなのです。でもわたしがありがとうと言いたい人は、目の前にいても、どこにもいないのです。この宇宙的寂寥。わたしは誰に、ありがとうと言えばいいのだ。わたしのありがとうはどこへ帰るのだ。まるでぼくたまの、月の基地からもうなくなった母星を思って「帰りたい」と泣くかのようだよ。
と、感傷はいいとして現実的には、一瞬のショックへのリカバーが追い付かないの。それですよね。そこにあまり意味を見いだしても、それは二次障害的なもので、あまり正視しちゃどつぼにはまるよね。冷たい床でちょっと寝落ちちゃって、朝方電車。悲しい話おしまい。



関係なく、今日歩いててしゃべったこと。まちがった選択はない。選択したことがいつも正しい。天地神明に誓って、地獄に誓って、わたしを構成するひとつ残らずの細胞に誓って、選択は常に正しい。