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目が覚めたらこれがことばの力か、とおもっていた。夢をみていた。わたしはよく見るこどもといっしょにいて、だれかのおかあさんとはなしをしながら、さっきのところにコート忘れてきたからとりにいかなきゃ、とおもっていた。なにかにはっとしたのに、もうおもいだせない。あさはいい。
なまえのことをかんがえる。----、というおとをつけられたわたし、その記号のいみするもの


そうだ、きごうだ。あさおきてテレビを付けたら堂地堂のダンボール手帳のことやってたんだ。それでアラビア文字だかなんだかの字の書かれた段ボールを切り取って手帳の表紙にしたものの特集やってて、それみて文字って理解しない人間からしたらその意味は通じないんだよなって思ったんだった。
意味を付随するために存在する記号が意味を失って、ただの美として放り出される、それってすごく美しいなとおもったんだった
いみのないせかい


にほんごがわからなくなりたいです



(それはさながら岩澤瞳のあり方のようである。意味がわからないまま歌うという、記号と意味の分離を彼女は存在そのもので体現していたのである)



反対にことばは、そう書けばその通りになるというちからもある。ex)SOSの猿。

ことばは暴力だ。
誰かを傷つけない絵画などあるだろうか。
記号、意味、意味、意味
存在は暴力だ

記号の無意味性と有意味性、そこには推理小説のようなロマンがつまっているよ