「なにかのせいにするな」ってよく言うじゃないですか。わたしあれちがうとおもうんですよ。なにかのせいにしていいと思うんですよ。たとえば自分は○○のせいで大変だっていうものがひとそれぞれなんかしらあるでしょう。そのせいであれができないこれが苦手あれはやりたくないとかいろいろ出てきて、傷つきたくないからそういうのから逃げるわけだけど、そうした先々で「○○のせいにしてたら先にすすめないよ」とか「本当は根本に問題があって、それを認めたくないから○○のせいにしてるんだよ」とか「つまり性格の問題」とかそれらしいことを言われるわけです。ためを思って言ってくれて、それは血の通ったことばなんでしょう、ありがたい。だけどねわたしはいくらでも何かのせいにすればいいと思うよ。だってできないものはできないしつらいものは何度やってもつらいですよね。そこで傷ついているのは自分一人しかしなくてその尋常でない痛さはだれにもわかんないんだよ。「って分かるけどそこを乗り越えてだなあ」的なよくあるやつももういいんだ。傷ついたんだ自分は。そこは涙のまなくていい。だからその痛みの測れなさを武器にいくらでも言い訳をすればいい、自分が傷つかないところまで逃げればいい。でもたしかにそれでは前にすすまない。自分だって進みたいことは分かっててそれでもできないんだから悩んでるんじゃないか。そうですよね。じゃあどこに条件与えるかというと、自分が損していることに気づくまでは全力で言い訳すればいい。にんげん損してるって気づいたら絶対いつか耐えられなくなるから、そのときにかわればいい。だから言い訳最高!できない最高!秩序と痛みじゃ絶対まず痛みをとれ。