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おないどしのせんぱいとのこってべんきょうして通りでごはんたべてしんやきたく。安定の深夜組。



いまやってる論文のわが人生的意味がほしくていろいろおもいだすのが、意識が好きだったんだよなあ。クオリアで、唯物論で。
で、人間機械論。そうだやっぱわたしはそこだ!そこしかない。卒論の心身問題、あれは時間をおいて考えなおしてみても、けっきょくあれは人間機械論だ。まあ心を理由として果たして人間が機械じゃないといえるのかとかだからそうもなるのか。それで、あのころはデネットにハアハアするのに精いっぱいでラ・メトリのことあんま調べれてなかったけど、ラ・メトリ調べるとわたしが言いたかったのとおなじこと彼がゆってた。つまりそれは霊魂の否定で、わたしが思考してのたうってたどり着いたものについて文献かいてる人がいた!18世紀にすでに!自信。ちゃんとこういうひとがいてもいいんだ。たかだか学生の卒論で、情弱だし稚拙で人に読ませられたもんじゃないけど、思考をかためる経験としてはよかった。

唯物、決定論、機械論、自己意識、霊魂の否定、自由意志、そら攻殻すきにもなるよな笑
でもそもそもなんでこういう思想になったんだっけ?高校のときデカルトや、ナーガールジュナさんとか荘子とかが背中をおしたのはおぼえてる。「人間は脳味噌に食われてる」ってノイローゼ的に確信してそれしか頭になくなってなんかたぶんきもかったのもおぼえてる。きも!けどそこにつながったのはなんだったんだ、なんの布石でこういうことかんがえるようになったんだろう。
アイデンティティとかの興味もそっからきてる。個ということ、自己同一性、自己と他者。わたしはなぜわたしと言えるのか。
つーか昔から、なんでわたしは目の前のこの人じゃないんだろう、この人はわたしの生年月日にわたしの親元に生まれてたらわたしになってたかな、とか思ってる時点で決定論者にはなるわな。

ジェンダーマイノリティへの興味は、あの頃あたまふわふわしてて性揺らぎまくってたからそっから。

ああおもしろい。もう今の研究(と呼ぶのもおこがましい)と何ひとつかぶらないんだけど無駄に機械論の論文よもう。機械人間論、卒論のときからタイトルだけでもうほれてた。批判側の意見もしりたい。ちてきこうきしん