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思想がある程度できあがってしまったのか、基本的に自分で選んで読む小説は推理小説人工知能物一辺倒で、高校生まであんなに読んだ女流物は今では一番苦手な類になってしまった。さみしさからかえってこれなくなるからだ。
なのでたまに人から勧められる本はとても面白い。まさか選ばなそうなものばかりで。

本当はちがうんだ日記 (集英社文庫)

本当はちがうんだ日記 (集英社文庫)

「悪魔の願い」
今は昔よりは落ち着いてるけど、でも、例えば、同じジャンルで自分より才能のある恋人とつきあうとかしたら、凄く不安定になるだろうな。ひーこわい。
(中略) そういうすごい恋人とつきあうと、優しくされて励まされて、かつ敵わないという、こわいことが起こります。こわい、でも、なんだか、ちょっと素敵ですね。いや、なんか、この、優しくされて、心が乱れて、愛し合っていて、でもうまくいかなくて、傷つき傷つけるという、不毛さの中に甘美なものがあるような、(後略)

「きれいになる」
梶原一騎原作の漫画『愛と誠』において、美貌の大番長高原由紀は愛用の投げナイフをツルゲーネフの『初恋』の中に隠していた。その行為の孤独さと横顔の美しさに、私は激しくときめいたが、それは生の緊張感の中で書物と美が結びつく幻をみた興奮だったのかもしれない。本の中に、ナイフが、という驚き。暗誦される『初恋』。闇を裂いて突き刺さる光。その美しい武器が化粧ポーチの中にあったのでは夢がないのだ。


こういう美しさを忘れていた。不毛な愛の中の甘美。
ツルゲーネフのはつ恋は、儚くて美しい。ロシア文学はどれも崇高で美しく儚い印象がある。
儚さだ。美しさとはそれがすべてだ。



それからこれは、あまりにも共感できすぎて、僭越ながら自分かと思った。

「硝子人間の頃」冒頭
中学生のとき、世界はとても静かだった。いや、正確には世界が静かなのではなく、自分の方がそこから隔てられていたのだ。全身を透明な硝子のようなものにすっぽり包まれて、私は無音の中で暮らしていた。光が遠くで鈍く輝いていた。
(中略) 辛い目にあったことなどないのに、私は世界を怖れていた。現実内体験がないのに、いや、だからこそだろうか、現実が怖かった。
躰を包む硝子はそんな私を守っていたが、同時に世界に触れることを不可能にしていた。

自分かと思ったとか書くと、自己意識が頭をもたげて神経おかしくなってくるから、嫌な言葉。
「自分」禁止ワードにしようかなと思ったけど、そしたら何も書けないんだろうな
自意識過剰は自己愛なのか?いや、どちらかというと自己防衛だ。