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中高生の頃に本に心酔していたのは覚えているが、何を読んだのか、詳細が思い出せない。
夏目漱石や、ドストエフスキーや、ツルゲーネフが好きだったのは覚えている。こうした人々の、自嘲のこもったメタ的な視線を介
して語られる情景、回想、こういったものに親しんだためにこれが読書の原風景になっているような気がする。


ツルゲーネフの『はつ恋』の、眼が眩み命が揺るがされるほどの憧憬と儚さを、もっているのが、森鴎外の『うたかたの記』だ。
うたかた(泡沫)とは水面に浮かぶ泡であり、儚く、消えやすいものの喩えである。

「けふなり。けふなり。きのふありて何かせむ。あすも、あさても空(むな)しき名のみ、あだなる声のみ。」

「今日よ。今日よ。昨日があったって何になるだろう。明日も、あさっても、空しい名目だけ、嘘の響きでしかない!」


なんという美しさ、これは言葉で表せない
こういう電撃に打たれてわたしは作られたとおもう
ドストエフスキーは、『地下室の手記』が一番すきだった。
新潮の表紙裏から

「極端な自意識過剰から一般社会との関係を経ち、地価の小世界に閉じこもった小官吏の独白を通して、理性による社会改造の可能性を否定し、人間の本性は非合理的なものであることを主張する。人間の行動と無為を規定する黒い実存の流れを見つめた本書は、初期の人道主義的作品から後期の大作群への転換点をなし、ジッドによって「ドストエフスキーの全作品を解く鍵」と評された。<<





幸福論は、大学でアランのそれを読む前に高校の時にラッセルの方を読んでいて、そちらの方が目を見開かれた思いがあったのを覚えている。岩波文庫をよく読んでた。学校の小さい図書室の奥の窓辺に、くるくる回る文庫棚が3,4個あって、それを昼休みにくるくる回してた。