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わたしなんだか今日で1000日日記書いてたらしくておそろしい。この日記は2007年から書いているからちょうど5年になるらしいんだけどしかし悲しいもので何を書いたかなんてさっぱり頭に残ってなくて、でももとからそのために書き始めたような覚えがある。今日と昨日がつながってるかどうかがわかんなくて昨日と今日と明日の自分は別人かもしれないとか(精神論的な意味でなく)、今までの記憶を埋め込まれて今朝生まれただけの人かもしれないとかそういうことが不安だったから書けば残るかなあと思ってかきはじめてたような気がする。なんにせよ1000ページ分の日記っておそろしい。もれだす気がやばい。



お正月実家帰ってすごいたのしくてきゃっきゃ言いながら過ごしたんだけどそれも一緒に帰省した姉が今年結婚するからもうあんまりみんなで集合できなくなるかもねっていうのがみんなの中にすごいあって、加えて4月からは兄弟みんなうち出てっちゃってさみしくなるね、人口密度がひくくてなんだかさむいのよ部屋の中、っていう事実を誰も口にしないけれどほんとはそういうセンチメンタリズムが充満してて、そういう狭い家のなかで寄り集まってゲームしたり醤油戦争したり演奏会したりしてた。もともとイベント好きなわが家はもはやカーニバルみたいになってた。
姉は性格的に愛嬌があって親切で面白いこと好きだからみんなからの人望が厚くてうちは良くも悪くも彼女を中心にまわってきたようなところがあるから尚更みんな仲良くしてた。わたしももういい大人になって高校生のときのように毎日が欝で家族と顔を合わすのも辛くて言葉を発せないみたいな時期が続いたのが嘘みたいに精神も安定してしまったし、きっと同居せずにたまに帰るだけという距離感が効を奏しているのだろうけど家族好きだなあという気持ちをあたためすぎてこんがらがってねじれてしまう昔のようにではなくより健康的で爽やかな方法で表出できるようになって、とくに両親は尊敬する人ナンバーワンだなあとかおもって、昔からは考えられないくらいに家族と一緒にきゃあきゃあと矯正をあげたりこわくて見れなかった優しい父の目を少しは見れるようになってなにやら下らない笑い話に花を咲かせたりそんなことができる(精神年)齢になったんだなあなどとおもってた。
けどほんとは笑顔の裏にいろんなものが潜んでいるのが普通の家族というものであっちとこっちの軋轢だったり気遣いだったり苛立ちだったりを知っていながら、それを踏まえた次女の立ち位置というものを自覚するだけのメタ意識を持ち合わせながら行動したり発言したり何事かを感じたりしてた。わたし高校生のときにある日はっとひらめいた「そうか、こんなにかなしいのは女に次女に日本にうまれた時点でしょうがないんだ」って妙な諦めで軽くなったのを今でも覚えてる。ありがたさやかなしみは次女に生まれた時点で避けられないものであってきっとそれは長女だろうと次男だろうと誰だってその立場にならないとわからないものがあってそこに生まれた限り当然負っていくものなんだろうとおもう。なんにせよわたしは健康であるし勉学に励まさせていただけるし両親は健在で、ちょっとくらいかなしかろうとさみしかろうと非常に幸福者なんだなと思いながら部屋でカタカタと論文を書いていた。それで調べ事をしていて棚の奥底に眠っている昔の教科書類の入った汚げな箱をひっぱりだして開けてみたら
でてくるでてくる黒歴史日記!
総計10冊以上にものぼるノートから漏れ出す黒い臭気・・・いったい何年書き溜めたのか・・・
スクラップとか好きだったからそういうのでもページ費やしてはいるんだけど、基本的にはヴァーーーって書いたそのときの心情が吐露されていて、「○月×日 今日はだれだれちゃんとどこどこいってたのしかった」みたいな平和感はあまりなく(初期〜中期はまだあったけど後期はほぼない)、或る青年の思想って感じで、ピッチピチのJKだったなんてとても思えない、なんかもう、感覚が鋭敏だった
そのころから記録マニアの気質があったんだなと思います。むしろ昔の方が時の流れや忘れてしまうことに恐怖していて、いまは忘れることがずっとへいきになってしまった。
感覚が面白いのでこんど書こうとおもう
2012年という字はまだぜんぜん慣れなくてきもちわるいです