身バレするのがこわいので折りますが、、
いま発達に関わる勉強をすこししているのだけど、スペクトラムの考え方を支持する先生に学んでいるからなのかなんなのか結構周囲のみんなスペクトラムという基本思想が礎にあって、人の身体的特徴や認知特性からみる性格や行動パターンを考えるのがとても面白い。これはもうわたしがペロペロしてきた人間機械論とか物理主義とかそのへんに激しく通ずる物があってなおさら納得できるとわたしはおもっている。人それぞれ過敏なところがあってそれがめぐりめぐって行動面に因果応報してる。で、「ていうかみんな絶対なんかあるよねスペクトラム的に」って話をよくする。あなたどう考えてもADD傾向でしょ忘れ物しすぎ とか、わたし多動がひどくて…とかいろいろ。これしょうがいかなやばいかな!ってそんなことではなくて、人間は、この人はしょうがい、この人は健常、って極分化されるのではなく、みんなおなじ得意不得意の濃淡のグラフのなかに乗ってるんだよってこと、それがスペクトラム
自閉症の方と一定の時間いっしょにすごしたりしていると、お水あそびが好きでずっとやっていたり同じ行動をずっととっていたりする方がいる。それは定型発達の人に比べると愕然と長い間続けていたりしているから、その人にとってものすごいこだわりになっているように感じる。ふしぎだなーって見える行動にも理由がちゃんとあって、実は別のいやなことからじぶんの身を守るために好きなものに没頭していたり(それだけそのこだわり対象以外の世界がその人にとってつらいものになっているかもしれない)、その好きなものに触れていると安心できたり、ものすごい快感だったり、いろんな理由がある。そしてその理由の部分に、感覚の過敏さとか身体的特徴とかその人自身の特性が潜んでいる。(閑話休題、その認知特性などはWISCとかの知能検査のプロフィールや下位項目である程度浮かび上がる。知能検査すごい、それだけに頼っちゃもちろんいけないけどすっごいよあれ、たった一枚の紙の数字にたしかにその人の特性が浮き彫りになる!とまあそれはおいといて特性の話に戻る)
ex.)わたし
・わたし家の中で掃除しようってなったときに毎回まずとっかかりにシンク掃除とかお風呂洗いをしたがる、床とかはあんま好きじゃなくて後。洗濯機の水くるくる眺めるのもすき。これだけで一概に言えないけどもしかしたらお水が好きで無意識的にお水にすいよってるのかもしれない。
・わたしは好きなことの勉強は好きで意欲的に取り組めるんだけど、ほかの勉強はものすごく苦手で試験とかとても不得意(勉強あんま好きじゃないから進学に興味ないけど試験勉強は得意という人が一定数いるのに比べて)。これをこだわりという観点からみると、修論の準備とか結構やってる人風にみられるのは興味分野が強いこだわりになってるからで、それはむしろほかの分野の苦手さからの回避であるとも考えられる。数学とか理科とか何語でしゃべってんのかまったくわからないし社会情勢にも弱いから興味も持てなくて、その分比較的「わかる」自分の興味分野にさらに没頭するという構図があるのかもしれない。
・人の性格や行動は長年の学習によってパターンが生まれているところも大きいが、子どものころ(小学校低学年くらい)の話をきくとその人が本来生まれ持ってきた特性がよくわかる。この間そういう話をしていて「子どものときどんな子だった?」ときかれて思い出したのは↓
1.壁とかみてるのがすごい楽しい(笑)、どきどきするしほっとする
2.どちらかというと周りが見えていた?
3.自分の周りに透明な膜が貼ってて、自分は水の玉の中にいる感じがあった
4.足の裏に過敏があって、足の裏が地面とくっついているのがすごく気持ち悪いかんじがしてなにもないのによくピョコンピョコン飛んでた
5.右耳に過敏があって、右耳だけで音をきくと頭の中がかゆくてきもちわるいのが耐えられないから自分で頭をたたいてた
みたいなのがうかんできた。1、「わかるー」っていう反応が返ってくると思っていったらぜんっぜん返ってこなかった……。これ笑われるんだけどわりといまだにすきで、「それしてるときって何色な感じ?」と聞かれたから「紫色のキラキラ」と答えた。なんかそういうかんじ、言語化すると、壁の模様やシミをみながらそこにある分子とか原子とかそれが今そこにある偶然性について考えているんだけど、こどものころの感覚で言うと、今わたしだけが知ってるわたしのまだ知らない知のがそこにキラキラ潜んでいてヒソヒソクスクスお話してるかんじがする、そしていつもそこにあってやさしい、守ってくれる、そういうイメージ、壁の模様って。
4と5については、そういう過敏があって、でね、いま自閉症の方と接していると自傷行為とか他害とかがあるんだよ。それってなんでなんだろう、なんでしちゃうんだろうって、外からはそう推察していくしかないけど、でも本人には、わたしがピョコピョコとんでたりあたまんなか痒くて叩いてたりしたのと同じようにちゃんと理由があるんだって、そう自分の経験から理解することができる材料になった。

それでなにが言いたいかというと、つまりスペクトラムを自分の身に感じられたってこと。ともだち同士で「ADDっぽいよね」「衝動性強いよね」とかって話しててもわたしそういうのないからすごい定型発達なんだなーわたしって って思ってたけど、そんなふうに他人事に思っているんじゃなくて、ちゃんと、わたしもその特性のグラフの上に乗ってるんだってこと。自分対世界にするのではなく、世界の中に自分も含む。投企的存在!
それに気付いたのって、自分を棚に上げて俯瞰視点でものを考えて分かった気になってたわたしにとってものすごく大きな一歩だったんだよ、それが昨日書いたことで言いたかったこと。
というこういうのを修論という形にしてまとめていけばいいんですね、やろう。