あいかわらず倉橋ヨエコがすきなわたしはぜんぶきくのがもったいなくてきかずにいたアルバム礼をついに借りてきいて「感謝的生活」に涙したりしている。「聴こえたから」も「屋上にて」も「部屋と幻」も「帰りたい家」もいい、つーかぜんぶいいわー。ヨエちゃん真理ついてる。わたしがこんな情念女の泣き言みたいにいわれがちなヨエちゃんのうたをきいて今なみだがでそうになっている理由をかんがえて。さっきどこかからでんわがかかってきてめずらしく話していたときも急にからだがぎゅーーーってしてきて急になきたいってなった。ああひとりだっておもったらなんか険しく泣きたかった。べつになんもないのに。今日赤羽の王将にはじめて行った。駅前のメロンパン屋はもうなくなっててかわりにもちもちロール売ってた。夕方なのにもう暗くてそうか冬なんだっておもった。そんなふつうのくらしがあって、いまひとりでねむろうとしてるけどいつかだれかのいるさみしくない夜になればいいのにっておもったりしながらあったかいカフェオレつくって論文の進捗レジュメ完成させてヨエちゃんきいてた、ひとりで。わたしがはじめてきいた曲は「人間ヤメテモ」だったけどはじめて買ったアルバムは「東京ピアノ」でその最後の曲は「終点」。何百回もきいてきたけど、あなたが終点なんですか、わたしの終点なんですか、ねえあしたもらいねんも、うなずいてくれますか、って問いかけるだけのこの曲がほんとうは失恋の曲で、この人のいるその部屋にはほんとうはだれもおらずひとり佇んでいて、終点だと信じたけどもうここにはいないという現実の、そういうきもちがこの返事のない問いかけとやさしいメロディーに込められていたら、とか考える。いきていく人のために泣いてくれるヨエちゃんのやさしさを思う。そういうふうな妄想が流れでる理由は、ことばにならない理由はなに。ってこんなの頭の整理にもならないやめやめ。論文りんしょうやべーーとかいってる22才12月の情景ノートここ。23だっけ?あしたはたのしいことがあるよ。すこしねむって病院。