おねえちゃんが結婚するから今月両家の顔合わせだよとか新居はどこになるのとかなにこのゼクシー分厚くない?とかで大変そうででもあそびにくる未来の義兄はやさしくて面白くてわたしにも家族がいたらいいのにって薄っぺらいさみしさをかんじながら夜を過ごしたりしてる。その妹は推理小説が好きだ。推理小説に出てくる登場人物たちは事件中にさみしくなって死んだりしない。生き生きしている。一人の夜も優雅にすごす余裕がある。舞城や伊坂を好みすぎて残った作品を読み切るのが惜しいから森博嗣のS&Mシリーズとか島田荘司御手洗潔とか綾辻行人館シリーズとかを読んでいる。セロトニンが生成されにくいとかアドレナリンが分泌されないとかどんな身体的原因が意識上にさみしさとして表出されることになるのかはさっぱり分からないがゲームもドラマも推理物ばかりに偏るのはそういう心理によるものだ。この世に読むべき推理小説夏目漱石谷山浩子がいれば大丈夫だとおもっている。
谷山浩子も好きだ。もともと怖い曲が好きで椎名林檎の「葬列」やベルリオーズの「断頭台への行進」などを聴くと痺れるくらいに胸が高まった。谷山浩子の音楽は文学的で、明るく優しい曲と不気味で怖い曲の対極に分かれやすいが、その後者があまりにも嗜好のど真ん中でどんなときでも聴いていると胸がすっとしてくる。鬱も治る勢いだ。有名な「意味なしアリス」は秀逸である。キノコの上の芋虫はさみしさを教える教授で、「それじゃ始めるよ」と言い残してどこかへ行ってしまう。アリスはそこで2100万年待っていたが芋虫は二度と帰らない。どうしていいのかわからなくなってアリスは試しにキノコと寝てみたり公爵夫人の頭を鍋にぶちこんでキノコと煮てみたりする。全てに意味はなく、キノコの上にはただ静かに2100万年の陽が当たっている。
地球滅亡三部作といわれる「穀物の雨が降る」「ガラスの巨人」「粉雪の日」は本当に素晴らしくてもはや言語化できない。真冬の受験のとき北上する新幹線から雪を見ながらずっとガラスの巨人を聴いていたのを思い出す。誰もいなくなった世界、夜の静寂、悲しみと美しさ。
他にも「ドッペル玄関」「悪魔の絵本の歌」「たんぽぽ食べて」「まっくら森の歌」「SORAMIMI-空が耳をすましている」「てんぷら★さんらいず」「仇」「楽園のリンゴ売り」「ハートのジャックが有罪であることの証拠の歌」なども素晴らしい。さいきんは「キャンディーヌ」にはまっている。人の3倍はある巨大なキャンディーヌ。時々は25倍、クリスマスには100倍にもなって、だけど誕生日には7123分の1にも小さくなるキャンディーヌ。ナンセンスだ。意味が分からない。なんてうつくしい。
そんな風にひろちゃんやアリスやいかれ帽子屋や妄想代理人みたいな狂った世界観が好きだ。それにしてもアリスインワンダーランドはひどい駄作だった。せっかくマッドハッターという最高にナンセンスで狂っていて魅力的な存在をメインにもってきて怪優ジョニー・デップまで起用しているのに、あんなに期待を裏切る作品はない。ただCGとロケーションに力を入れて映像が綺麗なだけで何を言いたかったのか全く分からなかった。全世界のアリスマニアに謝ってほしい。その妹はそういうことを考えながら暮らしている。現実には信念に関する似たような論文ばかり読んで進路に悩んだり真面目に学校に通ったり時々嫌いな電車に乗ってバイトに行ってつまらない会話をしたりする普通の生活で、心の中でいつも事件を待ちながら慎ましやかに暮らしている。