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黄色い電車に乗って春に卒業した大学にもろもろの証明書をもらいに行く。未来のこと、とりわけ来年の進路のことを考えるにつけ現状がさしづめスランプなことに思い当り辟易している。
院試、願書の提出期間を忘れていてあせって準備している。正直院に行けるわけがないし行ったところで何を学ぼうとかそういう気概がなくなっている現実と向き合うと、数か月前にがんばらないとって夢を描いてた頃の自分と今の自分とのギャップに愕然とする。
正直もう院なんかに行きたくないのだが、先日飲酒して前後不覚に陥りながら話した相談を聞いてくれた先輩が後押しをしてくださるから申し訳ない。その件についてはお酒の力を借りないと何も話せないという反省点が大きい会となったのだがそれは今は置いておく。
なんでこういうところへ入ったの?と聞かれても答えられない。そういえばなんでだろう。
困っている人の手助けをしたいという思いだけでこういう道に入って、その世界の現実をみてショック受けてもうだめだってなるくらいなら、やっぱりそれはわたしが夢を見ていたんだと思う。
人の役に立ちでもしないと存在価値ないと思ってきたからきっとありがとうって言われたかっただけの自分のエゴなんだなとすごく思う。反省する。恥ずかしくていやになる。結局エゴか。
この道には向いてないのか?素質ないのか?という、ちょっと悲しいけどそれが本当なら向き合うしかない。それを見極める時間がほしい。冷静になって考えたら、まだあきらめたくない気がする。



院に行くと豪語していた友人に電話したら、色々あって院試は受けない事にした、やりたいことも思う所もあるのに、信じてた教授と合わなくてここじゃやっていけないと思って、と返事が返ってきた。それを聞いて、ずぎゅーん!と何かが走った。そうか、それもありなんだ。自分が合わないと判断したら思い切って方向を変えるという手もあるんだ。

かく言うわたしは、人の一生に関わる仕事だという畏れと、加えて自分の無力さを自覚したことによって、もうずっと、自分で思ったように動くとか自由に行動するということの仕方がうまく思い出せなくなっている。

現実に活動に行って、まわりの人はすごく困難な状況でも上手にサポートすることができて、うわ、わたしにはむり、っておもったり、しんどいだけでなにもいいことない何も進歩ないって簡単におもったりして心は折れるけど、わたしなんにもできない意味ないもうしのうってすぐ思うけど、人の役に立ちたいとかつらい思いをしている人に寄り添いたいと思う気持ちはまだ完全に消え去ってくれたわけではないようだった。それが厄介なのだが。というか、これは同情などでは決してなく、事実、それは自分だったかもしれないのだ。そこにいるのはわたしの好きな人かもしれない。わたしの子かもしれない。誰も他人事で済ませられないことなのだ。

だからわたしには見極める時間が必要だ。夢はあって、そこで働きたくて、でも辛くて今負けかけていて、だからとにかくまず慣れること。まだ半年で何も見えてないと思う。相手の変化なんか出てこなくて当たり前だから、来年もなんとか応用を受験して在学して、一生懸命やってそれでもわからないならわからないままでもいいから活動を続けて、その間にほんとに素質がないのか無理なのかどうか確かめる。それで無理だったらしかたない。だから今はとにかく今見ている子に真剣に向き合おう。つらくてもいやになってもちゃんとがんばろう。