読書

ビッチマグネットよんだ。前情報ゼロでよみはじめてさいしょの方はなんか女流作家的のったり感でなんだこれって思ってたけど、気づいたらのめりこんでてやっぱよかった。やっぱ舞城神様だった。舞城考があればほんと読みたい。もうとっくにあるのかな。ないなら自分で精読してレポートつくりたいくらい。いまのわたしがそれ感じるのは伊坂と舞城と漱石とそんなかんじか。伊坂論はムック本とか本人解説がもう沢山出てるから買って読んだりしてなるほどって思ったり、本人の既読や推薦本のあたりは為になるけどそれ以外は特に感心するところはない。当然だけど作品の良さには負ける。結局作品だろ。ときどき人と本の話になって舞城を勧めたりするけど未だ舞城ファンに出会わない。だれかと舞城の話がしたい。ここ書きながらどんなこと考えてたんだろうとか、肉付けしながら指が勝手に書いてたところはどれではじめから構想していた意図や思惑はどれなんだろうって知りたい。好きな部分がたくさんあった。それだけを抜粋して並べたらその連なりから自分の枠組みができてしまいそうで嫌悪感がある。香緒里みたいにわたしもだれかにわたしのことをわかったように思われるのがすごくいやで多分すごくこわい。自分がどうおもわれてようと人の勝手にだからどうでもいいって頭では思うのにいざわかったって言われると生理的なレベルで嫌悪感がわいてきていたたまれない。それは二年くらい前にはじめて知った自分の部分。
話がそれたけどここんとこずっと舞城や伊坂や森博嗣東野圭吾綾辻行人など推理小説を嗜好するようになったのは物語という疑似体験にエンターテイメント性をもとめるようになったからだろうか。中高までは江國香織を代表とする女流ものと漱石ドストエフスキーに傾倒していてそれは共感を求めていたからかと考えると、時間を経るうちに自分自身が確かに変わっている証拠のような気がして興味深い。少なくとも今女流ものに手を出すのは億劫だ。
舞城を読んでいるとスピードがここちよくて頭の中がすっきりとしてくるのをはっきりと感じる。香緒里の弟のどろどろした思春期のいざこざシーン数時間の描写には何十ページも裂くのに、香緒里のおよそ130ページにわたってじわじわ描かれた悩み多き4年間の大学生活のあと進学を決めるとこには「私は院に受かり、院を修了し、資格試験も通って目黒の総合病院に勤め始める。」っていうたった一行で内容の恐ろしく濃いはずの2年間をばっさり切っちゃう手法が潔くてこのスピードがたまらない。

ビッチマグネット

ビッチマグネット

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自分のやったことが返ってきて同様を隠せない。ときどきほんとうにいやになる。自分の性的な部分がぜんぶ消えればいいのに。