朝おきてじゅんびもそこそこにチャリをすっとばして学校にいく。じゅぎょうをうける。ふたコマもあいてるよ〜どうしようひま〜っていいながらそとのログハウスみたいな木のいすとつくえにすわっておべんとうをたべているとやわらかいこもれびのなかをまんかいの桜のはなびらがひらりひらり。まだかぜはつめたい。またじゅぎょうをうける。ゆうがたになってまたね〜ばいば〜いっていって事務にむかい震災ボランティアの申請書に関東どこでも可とかいてていしゅつする。おわったらまたチャリにのって家までいっちょくせん。そのあいだにまたけっこうなじしんがおきたけどEGO-WRAPPIN’ AND THE GOSSIP OF JAXXをききながらチャリをかっとばしているわたしはそれにきづかない。
うちにつくとあねがいて「ごはんつくってるけどたべるー?」ときいてくるからあねのつくるごはんはおいしいのでやった〜たべる〜とこたえる。きがえていすにすわったせなかのむこうであねがにんじんをきっているトントントントンという音をきいているとあねが「あのさ、わたしさ







けっこんすることにした」。
けっこんすることにした。そのいっしゅんおいた間のうちにわたしはあたまのなかでなぜか にんしん???とかおもいつくかぎりのいいことわるいこといろんなことをかんがえてみがまえてたからまさかけっこんというたんごがでてくるとおもわなくて心臓がヒュッてきこえないおとをたてていっしゅんちぢんだ。けっこん?けっこん?そのうちするのはわかってたけどじっさいに結婚ということばをだされるとなんかみえないバットでせなかをたたかれたみたいなしょうげきがはしってきてなかなかのショックだった。もっとさきだとおもってたし。それからいろいろとはなしたけれどあれこれとはなしているあいだもあねはときどきにんじんをきったりしめじをきったりしていて、そんなあねのすがたをみていたらちっちゃいころ小学校にかようときいっしょの制服をきてでんしゃのりばまでいつも追いかけていたあねの細っこいせなかやみつあみのうしろすがたとかさなってふいにはなのおくがつんとなった。「よかったね」とかたをたたいたしゅんかんになみだがこぼれてきた。「よねんかんこうしてふたりですんできたけどもうすぐそれもおしまいなんだね…」というと「あんたほとんどかえってこなかったじゃーんまじなんなのそのなみだこっちまでもらいなきしてくるんですけど!なにもうー」「いもうとはいもうとなりに感慨があんの〜」ってゆってふたりでないた。「そしたらもうおんなじお墓にははいれないんだとおもうっ…とっ…うっうううう」「なにそのはなしの飛躍ー笑」「だってそうじゃん、なんかうちのかぞくはいつも6にんでひとつってかんじじゃん。しぬまでみんないっしょだとおもってたけどやっぱりこうやって…しんだらもうべつべつのっ…ところにっ…うううっうう」「なんできゅうにおはかのはなしになんのーないてるしー」ってへんなことをおもったけどしあわせなんだあっておもったらなんかどんどんなけてきた。すごいなあとおもった。うれしいしでもさみしいしけどやっぱ100倍うれしくてしあわせならそれがいいやとおもいながらあねのつくったごはんをひさしぶりにたべた。