いつか死ぬ日に今日も確実に近づいていっているように、時間は刻々と過ぎている。今日は卒論発表会があった。2年間在籍したゼミの最後のイベントだった。


自分の発表についてはまあ置くとして、文学部なのでね、文学と関わることやってる人もいるわけだけど、村上春樹1Q84を取り上げた人の発表聞いて感じたことがあったからメモしておきたくなった。以下チラ裏


おもしろいね文学史って
当然いつもそこにある空気的存在としてみてたことを今日思い知った
文学史評論ってすっっっっごくおもしろいよね
村上春樹は「新しい物語」のあり方を今切り拓き創っていっているわけだが
文学とは、現在にもこうして新しい潮流が生まれていっているわけで
その潮流の一部に自分も巻き込まれてるんだよ
震災が契機となり、とかオウム事件以後の日本ではあたらしい物語を語れなくなった、とかいろいろ言うけど、
その時代時代、たとえば明治の人はこういう考え方するよね とか
この頃人々は社会主義的意識を持ち、とか
この時代はデカダン気分が満盈していて とか
そういう文献的知識は、今生きてるこの時代のことでもあるんだよ
当然のことだけど気付いてなかったみたい
そしてそれに少なからず自分も巻き込まれている
そこには広告の力だったりの扇動 商業も関わっていて
今みくしー見たりつべとかニコ動見たりとかZOZOTOWNで買い物したりっていうふつーに暮らしてるそのことが、人々の意識を作り上げている
こういうブログとかツイッター文化は集団としての人々の意識に確かに影響しているのだろうし
モノやギャグやなんでもいいけど、「流行る」っていうのは時代がそれを求めているからだ
こうやって時代は生きてるんだ
生きて、うちら一人一人の動向によっておっきな社会っていうやつの考え方や意識や方向性が出来上がってんだよな
それでそういう社会の流れにうちらはまた飲まれて、影響されたりしてんだよ




人が考えたことが世の中を変えてく、ひっぱってく
そしてそういうことを考える人が生まれるのも時代にひっぱられてるから
循環



すげーおもしろい
そういうのを、1Q84をテーマにした人の卒論聞いておもった
文学史は今も動いてんだ
夏目漱石だってカミュだってドストエフスキーだって別に普通の人間で
伊坂幸太郎みたいに森博嗣みたいに舞城王太郎みたいに試行錯誤しながら書いてたんだよ
完璧なテキストみたいに読まれるけどはじめからあったわけじゃない
母親の葬式で煙草をくゆらせる意味は?何のメタファー?とか研究されるけど
作家は神じゃない
みんな人間で寝たり食ったりしててこういうはなし書きたいなって考えながら書いてる
そして今書いてる人たちも時代に書かされてるところもあって。
時代と人が巡り巡ってる
おもしろい。本よみたい。本愛してる。





あと別のレジュメでメモしとくのは「生命とは死ぬことができるという存在である」っていうやつ。これは自分の卒論と近くてすごい発言当てられた
わたしうちのゼミでロボット、心身問題、決定論と言えばあいつ みたいに思われててウケる
あとテーマわびで「わびとは自己の一回性と不完全性を対象に投影することで生じる美意識である」っていうのもよかった。昔この辺の研究好きで読んだの思い出した
やっぱ誰かの思い入れのあるもののはなし聞くのは楽しい、それが知り合いであるとなおさら
まあこれ以上かくとここバレてまずい気がするからやめとく。もうこんだけ書いて非常にひじょうにまずい気がするけど!
てか卒論か哲学関連でだいぶいろいろ書いてきたから身内バレしてそうですげーーーーこ え え ええええ
ガクブルってレベルじゃねーぞ




わたしの卒論はなんかむつかしーことつっこんでくる人たちにも割と好評で意外にもうれしいでした