21才10ヶ月

たいしたことは書かないけどこの一年感じてきたこと@職場
わたしは大変まじめに働くたちなので時としてその生真面目さが仇となり誰かがさぼったり手を抜くとそれを許せなくなってでも強くは言えないからやんわり注意したり言ってもまたやるからもう自分でやったりして憤慨してるけどそんな風に時が経ちあの人やあの人がいなくなってまた別の人たちが入ってきてすこしずつ時代が変わりいつのまにかもうちゃんとする方がおかしい、だいたい表向きの仕事ができりゃ見えないとこで骨折るのはあほっしょ、みたいなのがこの場所ではふつうになっていることに気付いた。そうか時代が変わったんだ、って今日急に理解した。だからもう再三ゆってたあれをやってないの見てしまってももう自然と何も言わなかったしそのことに何も感じなかった。もう時代がちがうんだもの、かたくなにこだわっていてもぶつかるだけだもの、ねえ大人になるってこういうことなのね だけどそれってなんかちがわない?決められたことはちゃんとするものじゃない?お店が大変で上がいろいろ案出してがんばって火の車ってさわいでいるならまずお店を清潔にしてそういう地道な努力はできて当然で基本中の基本じゃない?ぶつかっていても仕方がないからこうやって丸くなっていくけどさぼろうという神経がわたしはわからないたちなのでこうして抱く憤慨はまちがってないとおもう、わたしはこの怒りに誇りをもっていい。将来こどもと接する仕事につきたいと思う身で、実際そういう現場をしる人は掃除もなんもできない信じらんない先生が確かにいることはいると教えてくれたけどわたしはそうなりたくないしわたしが親だったらそういうことが出来て当たり前な人じゃなきゃ大事なこどもを預けたくないよ。だから今はやり方を曲げても、この真面目さはべつにおかしいものじゃない。損をしているわけじゃないむしろ人が見ていなくてもちゃんとする癖が付いていて得だと思う。いつか良かったと思う時が来る。
社会は理不尽だ。正直者は馬鹿を見る。でもわたしはわたしを評価できる。以上憤慨おわり。
あの人たちがいなくなってもう一年がたつ、もうすぐ辞めるけどわたしにとってのこの店はあの一年間であとの一年は憤慨だったなあ、とか回想しながら働いてる。そうか、時代は代替わりしてくんだね