ガーゼ

人から見えているじぶんがじぶんなんだとおもう。だからこんなんじゃないっておもいながらも、あたまのなかであれやこれやざんこくなことかんがえたりあーこんなんぜんぶどうでもいいやきらわれたってなんだってかまやしねえとかおもったりしながらも愛想よくへらへらしてさー「--さんはほんと温厚ですよね怒ったりとかしないよね」とかいわれてちげえしとかそんなふうにおもわれたくないのにって思いながらあははははそんなことないですとかゆってるじぶんはやっぱりどこまでいってもそうゆうかんじで温厚な--さんなんだとおもう。だれかからどう見られるかということがどうでもよくならないといけないというかそうなりたい、まえはすっごくそうだったのに、ちょうどうでもよかったのにいつからこんなんなっちゃったんだろ。つきぬけていたのに。ひとのめがきになってごはんとかたべれないありさま。何食べてもあじしない。よ。ってくだんねー。わたしはこないだ「言い方ひとつで気付かずにだれかを傷つけてるかもしれないからすごく気をつけなきゃいけないっておもう」みたいな内容のことをひとにはなしたけど、それだって要は、こうみられたいのに誤解されちゃう悲しさに反応してるのであって、でもそんなのしかたない。どう見られてるかなんていちいち気にしてたらきりがないんだよ。たとえばここにこうしてかかれたもじのられつがかたちづくるわたしの像っていうのもひとつのみえかたでしかなくて、そういうの総合したわたしはげんきなばかで温厚でひくつででも時々きがつよかったり血みどろなディルだったりきらっきらのプリキュアっこだったり優しかったり酷かったり正直だったりずるだったり生活能力あったりなかったり聞き分けよかったり都合よかったりめんどい奴だったりあっさりしてたりわかりやすかったりわけわかんない奴だったりする。みんな一言にまとめれないいろんなめんを持ってのそのひと。いってることとやってること支離滅裂でも、本音も建前もどっちもそのひと。それでけっきょく、何がいいたかったんだっけ。たいくつにむしばまれててなのにはずかしくてごはんのあじがしないってこと。やきんつかれたからほんよんでねむくなったらねよ。てんきよすぎでカーテンの黄色がへやじゅうにひろがってまぶしいからゆびがかってにこんなんかいてた。おやすみたいよう。あいわなすりーぷ。