マジョリティとマイノリティ

なんで周りが熱くなるといっしょになれないのかと考えてみた。マジョリティを感じさせられる瞬間、それは今のエヴァーーーとか言うのもそうだけど、わたしあれ、ライブとかコンサートとか行くのも苦手で、ライブ会場に行ったらその人を大好きな大好きな人たちがもう星の数ほどひしめき合ってるのを見るじゃない、わたしはその中のただの一人でしかなくて、その人はわたしの1/1の存在なのに、その人はわたしの存在なんて知る由もなくて、知っていても1/何万としてでしかなくて、、というのを見せ付けられる。その時のかなしさといったら。もうなんか絶大な無力感が広がってく。ハルヒの野球場の話と似てますね。そうやって大多数の中にいることの向こうに、自分の意思が伝わらないことへの不安とか、存在が無価値化されているという悲しみがあって、それが恐怖なのじゃないかと思う。でも普段別にマジョリティがやだーとか思ってないのは、その恐怖が生活する上であまりにも常に側にありすぎる、というか生きてるだけで常に何らかの側に分類されることを要求されているために、恐怖が無意識レベルに移行していて意識上は忘れ去られてるからじゃないかと。もしかしたら。したらマイノリティの気持ちよさもきっとそういうことに関係していて、大多数でなければ一つの価値が上がる、意思がおざなりにされにくい、と勝手に思い込んでいるのではないのかと思いました。という風な自己分析をしてみました。わかんねーけどな。
てかプリキュアせつない・・・。せつなやばい・・・。