他、拾得物
南の島の小さな飛行機バーディー オリジナル・サウンド・トラック
- アーティスト: TVサントラ,レ・ジビ,黒川芽以,中江里香,TOMOMI,細野晴臣,矢野顕子,KAMA AINA,岡田崇,コシミハル,木本靖夫
- 出版社/メーカー: ヤマハミュージックコミュニケーションズ
- 発売日: 2006/08/02
- メディア: CD
- クリック: 52回
- この商品を含むブログ (11件) を見る
- 作者: 造事務所編著,小須田健
- 出版社/メーカー: 大和書房
- 発売日: 2009/06/20
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
- 購入: 1人 クリック: 13回
- この商品を含むブログ (16件) を見る
- 作者: 尾田栄一郎
- 出版社/メーカー: 集英社
- 発売日: 2009/06/04
- メディア: ペーパーバック
- 購入: 8人 クリック: 143回
- この商品を含むブログ (273件) を見る
以下めっちゃ長いので飛ばし読みでどうぞ
- 作者: 伊藤実
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2007/03/06
- メディア: コミック
- 購入: 9人 クリック: 45回
- この商品を含むブログ (51件) を見る
- 作者: 伊藤実
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2007/03/06
- メディア: コミック
- 購入: 8人 クリック: 18回
- この商品を含むブログ (47件) を見る
後巻で、被害者の母と加害者の母が会う所や、終わりまでもう泣き通しで、泣きすぎて過呼吸になって、読み終わってからこんな現実に立ち向かい続けるのかと思ってまたわあわあ泣いた。命が失われるということ、それを犯すということ、その子を育てるということ、みんなの気持ちのすれ違いがかなしすぎる。みんなの気持ちが痛いほど伝わってくる。
このキヨタンの両親のキヨタンは後にできた子だからかわいくってしかたなくって大事に大事にしたいっていう気持ちもわかるし、それを見てあたしももっと愛されたいのに、パパもママもあたしよりキヨタンの方が好きなんだ、キヨタンうざい、消えればいいのに、ていう美帆子の気持ちもすごくわかる、だけどキヨタンはまだ7才だから、ね。家族はそういうものだから。
キヨタンを殺してしまった裕一は、暴行された過去があるけど、でもそれがもし
なくても心がすれ違うことはどこの家にもあるものだし、子どもは、子どもだけじゃないけど家族は、気持ちをちゃんと向けてくれてないの、すぐにわかるもの。美帆子がいうように、そういうのは肌でわかる。誰が一番とか、少なくとも自分が一番好きな人の一番じゃないことは、分かっちゃうよそんなの誰でも。
母親というのは「母親」というだけでその苦労を当たり前のように思われて誰にもほめられたりしない、なのに一つ間違えば母親失格とか言われる立場に、いつの間にかなってて。
裕一のママは一生懸命で、11才の自分の子どもが人を殺したことについて何にも知らない日本のワイドショー観衆から育児放棄のサイテーな親とか罵られたけど、母親ちゃんとがんばってた、がんばりすぎなくらいがんばってた、それなのに裕一からは「〜〜してあげたでしょ、〜〜してあげたでしょって、してないやつほどしたことばっかあげつらうんだよな」とか言われて、かなしい。何も言えなくなる。
ママはパパがもうずっと家の中ほっといてるのが辛くて、だからちゃんとした家庭っぽく家族を演出するのに一生懸命で、でも裕一はそんな努力どうでもよくて、気付いて欲しかった。どこの家にも、その家の問題があって、それは千差万別なんだから、「それっぽい」だけの良い家庭、良い父、良い母を演じるのなんて意味ない、そんなことに時間割いてる時間あったらもっと触れなきゃ、触れたいよ中身に、今何してるの、何考えてるの、どんなことがあったの、どう思ったの、知りたい、教えて欲しい。でも実際は子どもは、ああこんなに愛おしくて、ねえ、ずっとだいすきだよ、なんて抱っこさしてくれるのなんてほんのちょっとの間で、どんどん母親の知らないこと覚えていって、かーさんまじうざいんだけど、全然わかってないしとか言うようになって、ババアとか言って罵って、それでいつ、いつ心は触れ合えるのだろうか。
もしわたしがお母さんになって、未来に子どもを何人か産んでいたらわたしはそのみんなに、自分はお母さんの一番じゃない、ひとりぼっち、なんて気持ちを味わわせないことができるのか。わたしはねお母さん、えなちゃんやえいちゃんのことばっかりで忙しいから、わたしのことはいいや、わたしは大丈夫だからって思ってたよ。あんまり喋らなかったよね。そうやって分かったふりして、はじめはほんとに分かってたけど、でもほんとは分かってなくて、さびしかったのかもしれない、もう思い出せないけど、わたしは大丈夫だから、が、わたしはどうでもいいんでしょ、に変わってって、ほっといたんだから勝手にさしてよ、とかすねてたよ。それが精一杯だったよ。ごめんなさいほんとうに。あああの時、人を殺さないでよかった。ほんとうによかった。人の命を奪わないでよかった。そのときはまださっぱりわからないんだもん、人をほんとうに殺しちゃいけないなんて実感するのは人生のずっとずっとあとのことなんだもん。今はまだわかんなくていいから、だから殺しちゃだめ。お願いだから、将来どうなったっていいよそんなの考えてるから変われないんだよ、今のこの憎しみや寂しさや自分の中のどこにもやれないエネルギーををめちゃめちゃに現実に放つことが出来たらそれでもう構わな。なんて思わないで、思っていてもいいから殺さないで。いつかわかる。絶対に分かるから。それを今悩んでいる人に、相談する人が居ない人に伝えたい。わたしはこんなにも伝えたいよ、殺さないで。そんな風な自己表現をしないでもちゃんと見えてるよ。そこにいるのはちゃんと見えてるんだよ。それなのに。それなのに。
ああそうだ、いないんだ、清貴は・・・死んだんだ、もう会えないんだ、
あの、木立の向こうにも、あの坂の向こうにも、
この地上のどこまで行っても、果てまで走っても、
あの子はもういない、もう会えない、
どこにもいないんだ
会いたい、でももういない
喪失。失うということ。それが起きてしまう現実。
最後のページで、この瞬間なんて幸せなんだろ、命ってなんなんだろ、まじで、キヨタンは生きてる、と思った。
裕一も、新しく生まれた赤ちゃんに指を握られた瞬間に突然、命の重みが降ってきたようにわかって、俺なにしたんだろ、なんてことしたんだろ、て思って、ああそれからが戦い。よかった。未来はある。