スカイ・クロラ [DVD]

スカイ・クロラ [DVD]

“もう一度、生まれてきたいと思う?”
完全な平和が実現した世界で、大人たちが作った「ショーとしての戦争」。
そこで戦い、生きることを決められた、子どもたちがいる。
思春期の姿のまま永遠に生き続ける彼らを、人々は<キルドレ>と呼んだ。

原作読んでいないので、読んだらまた何か違うのだろうけど。


小さな田舎町の基地で、戦闘員が一人減って、そこにカンナミが配属されて、そこから物語は始まる。
彼らはパイロットで、戦闘機に乗って敵と戦ってて、でも自分が何と戦ってるかは知らない。

町はとても平和で、上空で時々戦闘機が撃ち合いとか爆破とかしてる以外はほんとに静かで穏やかで、
それもそのはずで、戦争はたんにショーであって、平和であるが故に人々が望んだ異変や危機で、
それを代行して行なっているのが、ロストック社やラウテルン社といった「魅せる」戦争を提供する会社で、大人にならないキルドレたちを戦争に向かわす。大量生産の、死んでも別な意識を持たされてまた戦う子ども達。

同じ時代に、同じ時間を過ごしてるこの時に、どこかで誰かが戦って、死んでいくことを、安全な場所から観戦することでしか、平和を実感できない。
そんなのバカみたいだと思うし、危機は他にもいっぱいあるじゃないとか思うけど、でも戦争という、国民一人ひとりが生存のために自分自身のこととして躍起にならざるをえない事態は、ある意味で国全体が「熱狂」して、何十万という人々が強く団結できる対象なのであって。
だからこそ、平和だからこそ、これは絶対に終わらせてはいけない、そして嘘であってはいけない、現実味を帯びた戦争でなくちゃいけない。
それで、終わらせてはいけない戦争だから、絶対に倒せない敵という存在が必要で、ここではそれがティーチャーというやつ。
キルドレたちが実際に戦って、敵を撃墜させて、おめでとうとか言って、でも次の戦いでその子死んじゃった、かなしい、かわいそう、どうして、もういない、泣く、とかいう、リアルな悲しみや胸の痛みを人々は、自分も気付かないところで欲してる。

作中で、戦闘機が撃墜されて燃え盛っていて、現場に集まってきた群衆のひとりが「なんてことを・・ああああ・・ひどい・・・かわいそう・・・・ああああああ・・・・!!!!」って泣き叫ぶんけど、
その死んだパイロットの上司の女・スイトは、何人も死んできたパイロットを見てきた彼女は、
「かわいそうなんかじゃない!かわいそうなんてことばであいつの死を侮辱するな!!!!!」って怒り狂う。
なんか、わかんないけどわかる気がした。
気がしただけだけどね。戦争、知らないから。


それで、スイトが「殺されたい?それとも私を殺してくれる?でないとわたしたち、永遠にこのままだよ」とかいうからカンナミは、この永劫回帰を変えたい、変えられるのか、自分に、と思って、絶対に倒せないティーチャーに向かっていく。なにかにひらめいて突撃してく。
そして、一矢報いれそうだったけど、ぼこぼこに撃たれて、カンナミはやっぱり死んじゃって。また同じ体に、違う名前の違う意識の、でもおんなじ癖のままで、帰ってきて。戦って。スイトはそれを見つめ続けてて。君は生きろ、生きて見続けろ、て言われたから。

基地の犬だけがずっと平和で、わんわんぶひぶひいってて、平和だった。
絢香に泣いた。けど、絢香に泣いた、ということも特に、カンナミやスイトを助けることは出来ないし、今どこかで倒れて痛んで涙を流して死んでいっている誰かを救うこともできないし、
そうやってまさに今、かわいそうだと感じることで、こんな現実酷すぎる、ごめんなさい、と胸を痛ませることで、平和を実感している、ごめんなさいの平和を、罪悪感の平和を、
という、構造を理解させたかったんでしょうかね。この作品は。
































つみきのいえ (pieces of love Vol.1) [DVD]

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水が上がってきてはつみきを積み上げるように家を上に建て増して、みんなで住んできた家、
今はひとりぼっちでおじいさんが暮らしていて、水に浸かっていくその町からみんな出て行ったのに、おじいさんだけは思い出の詰まったその家に住んでいて、
おじいさんは水の中に落としたパイプを拾いに行くために、潜っていった水の中で、
通っていくひとつひとつの部屋に沁みついた思い出が浮かんできては、消えて、
部屋が下に行けばいくほど、思い出も古くなっていって、
おばあさんとであった頃とか、ついには子どもの頃とかの部屋になって、
でも今はひとりぼっち。


せつない、どうにもできない郷愁感が溢れてた。