ことばにならないもの

「これが手だ」と、「手」といふ名詞を口にする前に感じている手、その手が深く感じられてゐればよい。(中原中也)

教授室でことばについて議論してたんですが、




わたしが思っていることや感じていることはわたしの中だけで感覚されていて理解されているもので、それをどうにか、ああ今わたしはこう思ってこんな風に感じてるんだよーっていうのを、人にわかってもらうためには、ことば使って説明して、それを言わなきゃいけないじゃないですか。

でもことばにした瞬間それは、なんかちがうものになって、わたしの中から出て行っちゃって、感じてたのはほんとはもっと別の、もっとことばにする以前の感情とかで、でもそれを誰かに伝えるにはそのことばで一般的に表されてるのがふつうだから、そのことばを使わなきゃ伝わんなくて、

たとえば胸が痛んでるとき、「悲しい」ってわたしはいうけど、でもそれは伝わった相手の想像してる「悲しい」じゃなくて、「悲しい」という文字記号で表されるものじゃなくって、だからわたしは胸が震えてて、今胸の中がふわああああ、すーんって感覚なんだよ、っていうのを、分かって欲しいんだけど、分かり合いたいんだけど、やっぱりことばにしなきゃ何にも伝わんなくて、でもことばにしたら感情はその「悲しい」とか「愛しい」とかいう文字記号や音声記号にたちまち変換されて、ことばが一人歩きしてくじゃないですか。


わたしはそれがかなしいです。

ほらまた記号。

こんな文字に意味はないよ、ミミズが這ってるだけの絵みたいなもん。理解できてると思うなよ、そんなのぜんぶあんたの妄想だよ、人と分かり合って理解し合えてるっていう妄想の中でにやにや生きてるだけかもしんないんだぜ。

ってわたしの中のわたしがいつも言っていて


わたしはそれがこわいんだよ!!!

わたしが見てると思ってるものも聞いてると思ってるものもほんとはぜんぶ存在しないかもしれないし聞こえてることばという音声が確かに意味を持っているかとかわたしが意味したものと同じものをあなたは理解してるのかどうかということは曖昧でわたしはわたしだしあなたにはなれないしあなたもわたしにはなれないから同じものを見てるのかどうかもわかんない。


わたしとあなたの共通概念は確かですか。っていう疑っちゃ生活してけないあほみたいなこんなことが未だにわたしは不安なの!!!!!!


意味したものが伝わってないかもしれない、でもそれについて何もいえない、説明ができない、ことばがないと意思の疎通もできない、分かり合えない、繋がれない、、、

そんな事実を噛みしめてその暮れていく教授室の中でわたしは涙を止めるのに精一杯だった。かなしかった。けれどもやはりことばを撒き散らしながら、ことばで説明できない感情をある程度無視しながら、今日も人間生活送ってる。