27日

おばあちゃんの四十九日。朝から親戚一同お寺に集まってお説教を聞いた。喪服を着る。もにふくすからもふく。
前の晩に課題が半端な時間に終わって手持ち無沙汰にバンブラ始めたら気づけば徹夜してたせいで(あほ)、お説法聞きながら体の節々ががじがじ。でも今回のお説法はとてもよかったな。東洋哲学の授業で少し習っていてそこで聞けるのは当たり前だが客観的な仏教観だから、そうじゃなくお寺さん側の考え方にちょっとでも触れられるのは興味ぶかかった。
全員いっしょに経典持って読経をやらせてもらえた。お経を口にすれば極楽に行けると信じて唱えていた言葉なのだから、感慨深い。極楽はすぐここだと考えてる。ここがどんなとこでも。死んだ人は仏壇にいると考えて手を合わせて拝むくせに、お墓参りに行けばお墓の中に死んだ人がいると思ってるし、じゃあお供え物は仏壇やお墓に向かって置くのが妥当なはずなのにお花もご飯も私たち生きてる人の方を向いてる。へんなの。
年賀状の喪中というのも考えてみればおかしな話で、それって死んだ人を汚らわしいもの扱いしてますよって言ってるようなものだ。縁起悪いってなに?
うちの家にはいろんな宗派の人がいて、昔はああだこうだと信条を問題にしたりしていたけど、そんなことがあったためかいっしょに住んでいるおばあちゃんはいろいろと宗派に知識があったりして、今日の話の考え方について、お墓までの車の中であとから口を挟んでいた。母はそんな環境のせいか宗教関係に拒絶反応を示すのが常だったけど、今は前より寛容なようだ。それにしても人の内心の信条としてるものに対して明らかに蚊帳の外の立場を取って、偉そうに論議して結果タイヘンネーで済ますというのは全く下世話だぜ。おいら反吐が出た。

あ、説法中に喪主のおじさんの数珠が切れて玉ばらばらとんでったよ(何