急遽

予定変更して帰りに偶然ばったり会った詩人さんと飲みに行ってた。身体とかことばの話聞かせてもらいに。今帰るとこ。洗濯もカレー作れないや。
メルロさんの話→さるとる→自由意志→物理主義・二元論→デュアルアスペクト→…→ことばそのものとことばの意味は別のもの…
ひとつ明らかになったのはわたしが不安にかんがえてるものというのは明らかに大量生産云々の現代に生きてるために起きてるということ。生活のあり方が変革してく時代を生きてないから実感出来ないけど、失われたものが確かにあるとすれば納得がいく。
纏わり付く浮遊感ばかりで、ほんとに今居るのか不安なわたしだけど、浮遊感そのものが時代の産物ならそれは逆に生きてる実感なのかもしれぬ。
詩人さんは決定論的だけど自由意志はあるという考え方。
同一性言明など参考。
わたしは自我=脳に喰われてる思考・行動という基盤のもとで目の前の光景はただの映像なのかもしれないと危惧するばかりです。
現実全てが妄想だとすればコミュニケーションする相手の受け答えもぜんぶのわたしの欲する応答なのかもしれなくて
だけど妄想かそうでないかを確かめる決定的証拠がなくて
まず妄想だと判った時点でそれは妄想ではなくなってしまう。



スキということばはスとキという記号の羅列なのに、それが並べば突然意味を持つなんて、ちょっとそれ信じらんなーい、ことばなんて信用おけなーい。みたいなとこをぐるぐるしてます。
そしたら会話する相手に何も伝わってないのかもしれない→そもそも相手に見える映像なのかも→じゃあコミュニケーションする意味なんかどこに?→無駄やん→無駄な世界に誰が生きてんの?→ぐるぐるぐるぐる



というのを聞いてもらったら、妄想かどうかは誰にもわかんないけど妄想なら妄想で構わないよー、妄想の中でも交われば楽しいことってあるよ、ならプラスの方にいかなきゃっとぼくは思うんだー、みたいな感じのことを話してくれた。
自分側から相手に何も伝わってないのかもしれないって思っても、相手の発言でどうしようもなく自分に響くものってあるでしょ、て。
それすらも妄想と言ってしまえばどうなるのとは思ったけど。
私個人が日常的生活を送るのにはそれで十分なのかね。
とりあえず言葉に関してもだけどリアリティというものから剥離されてる感は拭えない。


そして話の間に「きみはコミュニケーションに欠陥があるわね」的なことゆってた。バレテール。その辺含めいい人だなー頭いいなー。