mellowbrain’s blog

カウンセリングに通っています。ここには頭の中の整理を落としています。

幸せになるためにはどうすればいいのか、宗教

文章が下手であの不安をうまく文字化できませんが、昨日気付かずに入っていた場所は新興宗教の会合でした。
最初は友達の誘いだった。
谷ちゃんはポルノファンでミーハーで好奇心旺盛で面白くて、学部は違うけど去年から仲良くしてた。英語の授業いつも一緒に取ってた。
アクティブな子だから、「講演会あるから一緒行きたいなって思って」って言われたときも、そっか学校の先生関係が何かするのかな、くらいに軽く思ってて、こないだ約束してたご飯もいけなかったし普段あんまり会えないからちょうどいいやって、いくよーて、即決した。
朝早くに神奈川の市民会館みたいなところに谷ちゃんと集合。部屋に入る。扉を開けた瞬間から、スーツ姿のお兄さんがめちゃめちゃ笑顔で出迎えてくれた。その後ろから同じくめちゃめちゃ笑顔でむっちゃきれいなOL風お姉さんが出てきて「お友達ですか?こんにちわー!まあ肌きれいー!」とすんごい愛想よくお話して緊張解いてくれて、お兄さんもニッコニコして「まあ同郷じゃないですかーどうもよくお越し下さいました」って優しい。超友好的。
しばらくその辺の方々と雑談して(初対面にも関わらず皆さん本当に天使みたいにやさしい)、時間が来たので代表の方の体験談を正座して聞く。足痺れる。
あんまり書くとどこの会かわかってしまうので書きにくいけど、どのようにすれば円滑に人と付き合えるか、仕事面が上手く行くか、ということを研究した方がいて、その方が見出した方法を、自分だけじゃなくて困ってる人たち、人と人との付き合いが上手くいかない人、もっと向上したいと思っている人に教えてあげたい、というのが基盤になっているようだった。そしてその方法に触発されて言われたことをおこなってみたら、驚くように人生うまくいくようになった、という人が体験談を語っていて。
その話がまたすごく信憑性があって、ああこの人辛かったろうに、頑張ったんだな、だから今はこんなに落ち着いてお話できるんだな、って感じなの。ふつうの営業やってる中年なのに、多分すごく人当たりがよくてお客さんのことを第一に大事にしてくれて、お仕事できるんだろうなっていう風格が出てるの。
だからすぐに引き込まれてしまった。
だけど、その人の話を聞いている途中からなんだか、「ここで学ばせていただいたことをきちんと守るようにしてから全てがうまくいくようになった」という言葉には、それって自分の価値観が変わったってことで、別にあなたの人生が変わったわけじゃない、という気持ちが頭を掠めた。
その体験談が終わった後、それぞれ近くの人と小さい輪になってお話に。わたしは谷ちゃんのほかに一つ年上のきれいなお姉さんと、東大の男の人と一緒になった。2人はとてもお話が上手くて、面白くて、どんどんひきこまれるように話を聞いた。その人たちが話してくれるには、ここで先生から学んできたお話は、生活の基本、それはつまり家族を大切にするということなのだけど、家族関係が自分の対人関係に全て出るということで、だから親を大事にするとか、兄弟と積極的につながりを持つとか、そういう簡単なはずのところをちゃんと行動に移すということが、自分の今の生活を変えていく、というものらしい。それはすごく信憑性のある、ほんとうのことだと思う。だからそれを真剣に考えて、幸せになるとはどういうことか、幸せになるにはどうしたらいいのか、ということを真面目に研究したその先生はすごいかもしれないと思った。というか、今目の前で笑いながら話しているお姉さんやお兄さんが楽しそうに見えて、人と話して人と接していることが本当に楽しそうだった。陳腐な言い方だけど輝いてた。少なくともわたしにはあそこに居た人たちがすごく活き活きと生きてるように見えた。羨ましいと思った。「それで、ともえちゃんにとって幸せって何?」と聞かれて、わたしは色んなこと含めて「人と接すること。」と言った。でもあの人たちはとっくにそれを実現しているように見えたんだよ。
だけど、そのお姉さんが言っていた「ここで学んだことをやってただけで、わたしの周りの人がどんどん変わっていったの、わたしはほんとに人に恵まれてる」って言っていたのは、違和感を感じた。周りの人が簡単に変わるということはない、それはあなたの価値観や周りの見え方が変わったということでしょう、それくらいじゃ厭世なんて消し去ることできないのに、と思った。その人の話しぶりから、盲信してることを感じた。

お昼からあとは、今度は先生が来てお話を聞くの、だからせっかくだから是非聞いていってね、でもそれにはカードが必要になるんだ、こういうちっちゃいカードなんだけど、これ作るのは最初に1500円から2000円必要なのね、でもそれだけだよ、それ出したらもう後は月に何回来てもいいの、となりの町に会館があってそこではほぼ毎日やってるからね、毎日来たって全然構わないし、忙しかったら全然月一とかでもいいし、ともえちゃんとおんなじくらいの年齢の子がいっぱい来てるのね、うん、だから是非来てほしいな、やっぱりねこういうのってすごくいいなって思っても一回じゃまだ全然実感とかできないと思うんだ、わたしもそうだったの、だからともえちゃんが言った幸せ、人と接すること、それってすごく大事なことだよね、それがもっと充実するように、是非一緒に考えてお話聞いていってほしいな、そのためにね、こういうお話がもっと自由に聞けるように、国からは宗教団体っていう形になっていてね、・・・・・

結局、午後は行かなかった。
あと少しで行っているところだった。谷ちゃんは、谷ちゃんの話し方では一度も行っていないような感じだったのに、結構前から行っているようだった。谷ちゃんとご飯を食べたあと、午後はやっぱり帰るねと言ったら、谷ちゃんは申し訳なさそうな顔をして、じゃあちょっと顔だけ出してくるから待ってて、と言って部屋に戻っていった。それですぐに帰ってきて、午後は彼女も行かなかった。

宗教という言葉をお姉さんから聞く前から多分これは宗教だと思っていた。でもあの場にいた人たちの熱意は確かにわたし個人に、ただ自分の知っている幸せのなり方を教えてくれようとしてた。この集団にとって宗教団体というのはただ便宜上の、都合上の名称としてとったにすぎない形だということをひしひしと感じた。生身を目の当たりにしちゃったから。谷ちゃんも勧誘目的じゃなかった。「わたしああいう話聞くの好きでさ、なんか驚くっていうか、へーって思うじゃん、なんか」っていうのが、谷ちゃんの感想。信じるのは、それはそれでいいと思うんだ。わたしだって今のタイミングじゃなかったら、藁にも縋るときだったら、多分ここでお話を聞いて、あんなあったかい人たちに囲まれていることはわたしに確実に生き続ける希望を与えてくれていた。できることなら信じたいもの。盲信したいもの。迷いがないあいだは、のめり込んで信じられる喜びを妨げるものはないもの。そこに居場所を見出せるなら。