お風呂に住みたかった

実家が引っ越すのです。夕べお風呂から上がってふと「ここのお風呂に入るのあと1回だ」って気が付いて何で気付いちゃったんだろうと激しく後悔して、でも気付いちゃったから今日はお風呂中を大掃除。ここにお父さんと入ったり十数えるまで上がっちゃだめ!ルールを守ったり速単暗記したりお茶とドストエフスキー持ち込んで「生きるのラスコーリニコフ!」と顔半分お湯の中で喚いて長湯したりした思い出が蘇って来ては感慨。その昔セーラームーンに支配されていた私は自分も聖水を浴びたい余りに「大晦日の夜に聖水を浴びれば来年の私はきっと生まれ変わる」と言う根拠のない思い込みに従って厳かに水を被って「よし。これで生まれ変わった」みたいな恥ずかしい儀式をしたりもした。2000年の冬。今ではいい思い出です。小さな擦りガラス越しに上の住人達と目が合いかけるのも一興。お風呂はここの家の中で最も集中できる場所なため3時間でも4時間でも入っていられる。でもあんまり居心地が良すぎるため一度入ると出れなくなって、夜中の4時頃に「ああこの感じはどうやったって体動かないわ。このまま学校も行かずに一生ここで過ごすのかも知れない」と笑えない位リアルに思えてしまうこのお風呂。5時間を越えると体が水死体みたいでさあ!皮膚が膨張して二足歩行が困難な程足の裏がぶっくり。浸透圧が変わるだけで皮膚という皮膚に痛みが走るということを知った。人体って生きてる!
次帰って来る時は違うところ。4才位にここに越してきて他の家の記憶が消え去ってしまってるので、この家自体が私のアイデンティティみたいなそんな感じで、どうしよう、ああなんか陥ってきた。だだっ広い間が一つあるだけでしっかり区切られてないからどこに居ても人の気配がするのね。電気も冷暖房も付けない私の部屋とか、帰ってきて冷たい床にぶっ倒れてなんかすげえ泣きながら見た机の下の暗がりとか、夜明けの窓の薄い青とか、壊れかけて音の悪いピアノとその後ろで付けっぱなしのテレビとか、おもての呑み屋のオレンジ色の明かりとか、夜中に長電話する時窓越しに聞こえる道路の音とか。そういう場所の喪失。自分がなくなるみたいに切ないです。外から私生活丸見えだわ廊下で同居人たち*1がマッパ同然で練り歩くわチャイムピンポンピンポン鳴らしてくわの酷い家だったけど出ていきたくないよーさみしいよー。

*1:家族ではない男性達数十名