mellowbrain’s blog

カウンセリングに通っています。ここには頭の中の整理を落としています。

今年の夏は6月東海のお祭り合宿と北関東にダンス合宿へ、7月中部にダンス合宿へ、8月東北お祭り行脚して、九州帰ったついでに福岡の友達のところへ、働き始めて数年はじめてたくさん遠出しました。break heartの力ってすごいなんて小学生の時から知ってたけど捨てるものがないことと守りたいものがあることって最後はどっちが勝つんだろう?法被を着た男と女が好きなのでそういう風に生きていくなんて小学生の時は考えもしなかった。おはら節踊って交通規制した道路を練り歩く特別な気持ちが大好きだったけど、祭連への憧れは消えないね。コミュニティの中で育ちたかった。生まれる場所は選べない。

ドラム練習中


HALFBY “INNN HAWAII” Trailer

 

 

大好きだった人にフラれた。あれだけ一晩ワンワン泣いたのに起きてもやっぱり悲しいし、こんな日だけ体は出勤の時間に目覚めちゃうし、電車のっててもまだサイレントティアーズしちゃう程度に胸は苦しくて、せっかく今できる限り最上級に可愛くしようと思って綺麗にお化粧したのが取れちゃうからあくびして眠たい人のふりをする。お化粧変えたでしょ気付いてたよとか、もう遅いよぉばか。お化粧変えたし髪型も変えたし服装もちょっと変わったしまた痩せた?って最近よく言われるけどぜんぶ意味なかった。意味ないことないじゃんちゃんと気付いてたじゃんって言われることにももう意味はない。なんかお別れみたいだけど今後も会うし飲み行くしお話もできるじゃんなんて言われてもぜんぶ今までとは違うじゃん。そこに意味ないじゃん。一線を超えないでずっと友達。それってなんだ。       ただの友達でいてほしいわけじゃないの。そんな枠じゃなくて本当の友達になってほしいの。心からなんでも話せる、頼りになるやつに。そんな関係の人がいままでいなかったから。。。、。ってなんだ。身体と気持ちを別にできるほど器用じゃない。一線越えたらまた---を困らせてしまうかもしれない。。。ってなんだ。。。。ばかー。いっぱい夢見たしいっぱい語ったし分かり合ったのに。村上春樹が恋愛は人生の肥やしだみたいなこと言ってたよって言ってたけどそんなこと春樹に言われなくても知ってるよ。全然本読まないで、人間失格みたいな人だから太宰を読め。もっとこれからも好きって言いたかったなぁ。

27歳2ヶ月手前、イキまくってます。
ライブ。さいきんはゴマアブラ、Suchmos、ceroアーバンギャルド清竜人、チャランポランタンあたり好きです。ギャルドさん「昭和九十一年」、鬱之宮遠征してきた。明日EGO-WRAPPIN'のフリーライブ、来月Perfumeいきます。暮らしは太鼓叩いてドラム叩いて社交ダンス踊って本読みまくってます。アドラー、9年ぶりに出た陽気なギャングシリーズ、等。
GW結婚パーティーで歌いました。歓送迎会でも歌いました。先月救急車のったり、精神的にも死ぬのかと思ったけど捨て駒にしても消化試合はつづくものなのですもの。
フットワークがどんどんどんどんどんどん軽く軽く軽くなっていってどこに行くのも話しかけるのもたやすくなってしまった。

「チームの士気をあげるためにはここぞの2分でもいいから試合に出させてあげることがモチベーション維持につながるでしょ」だそうで、そういう意味で職場ではどんな新参も発言しやすい雰囲気がやはり大切だそうです。と知人のアスリートがビール注ぎながら言っています。えらいですが根アカで妬けます。わたしにはそんな余裕はないので自分の範囲を固めるように努力しています。わたしエピソード記憶弱くてすぐなんでも忘れちゃうんだけど、ぜんぶ可愛い、超可愛い〜って本気で思って、どんどん言うようにすれば何かが、変わるはず。お仕事は悩むけど幸せそうにお話できる人になりたい。つらいこともいっさいは喜劇だと戯曲が教えてくれたはずだ。悲しみは笑いだとベルクソンは言ったはずだ。
ドラムの練習は楽しくて新しいことをたくさん知れて、頭の使い方も日常にはなくむりやり脳みそ切りひらく感覚で、ハーフタイムシャッフルが気持ちよくてしょうがないです。

岸辺の旅 (文春文庫)

岸辺の旅 (文春文庫)

春子超常現象研究所 (双葉文庫)

春子超常現象研究所 (双葉文庫)

嫌われる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教え

嫌われる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教え

自撮者たち 松永天馬作品集

自撮者たち 松永天馬作品集

こよなく愛する、おばけ、ゾンビ、屍について(きもちわるくはないです!)、
何が好きなのか、言葉にできる範囲で考えた。
おばけやゾンビ作品と言うと今はさまざまありますが、どちらかというと無意識になって噛み付いてゾンビ増殖する系の作品でなく、むしろ死んだことを受け止めつつ生前の意識を多かれ少なかれ保ったまま蘇っている系の作品が好きです。
大槻ケンヂのステーシーズや、筋肉少女帯の歌に出てくる少年少女が代表格。

岸辺の旅 (文春文庫)

岸辺の旅 (文春文庫)

本を読んだ。死んだ夫の屍が生身をもって3年かけて帰ってきて、その長い帰り道を逆再生みたいに今度は2人で辿っていく。「岸辺の旅」。
屍の良いところは死んでもなお求めるものを生者に教えてくれることだ。それは人によってさまざまで、恋人だったり、意識だったり、歩くという実感だったり、食べることだったりする。それをまだ生きている時に知れること。喪って気づくことを、喪う前に知れること。何を求めているか分からないままふらふらとさまよっている者もいる。アイデンティティを探している。
おばけになったら、食べなくていいし、寝なくていいし、働かなくていいし、セックスしたいと思うかもしれないけどしなくていい。そういう、生きていたら避けられない(あえて言う)雑事を超えた存在としてありながら、死んでもなお蘇るほど求めるものって崇高で、美しく、なんて尊いんだ。それが、「もう一度歩くため」とかそんなあまりにも取るに足らないことだとしたら、それはなおさら今生者として存在できているうちに考え直さなければいけないことだし、ああだこうだと不満を述べたりだとかさみしいとかどこまでいってもひとりぼっちだとか考えるのが恥ずかしいくらい生は美しいものだと思い出せると思うの。「これは人生、わたしの人生、誰のものでもない!」と歌い出したくなるようなカタルシスを生きていてどれくらい思い出せるか、そこで我が甘き孤独と勝負すべきだし、戦いの末にひとつ上のステージで孤独と手を取り進んでいくべきだと思うのです。


おばけになっても


再殺部隊